あけまして、おはようございます。

あけましたね。新年というやつが。 これは昨年4月頃から食事を食べる前に写真を撮りためていたものから、朝食をひとつ選んで新年のあいさつ用につくったものです。 正月当日の朝食に間違われるみたいですけど、正月当日の朝はちゃんと…

pina bausch

恥ずかしながら最近になってふと知った、偉大なコンテンポラリーダンサー。 Pina bausch。 今年6月に亡くなられたそう。 こうした映像だけでもとっても刹那的に美しくて、見る機会があれば行きたかった。 DVDもあまり…

Polygon Playground

Polygon Playground /// dynamic lounge object /// 気持ちよさそー・・・

馬喰町&谷中

金曜、知人の作家が参加していた馬喰町のラディウムーレントゲンヴェルケ/Moeglichkeitのオープニングへ行ってきました。 始め地下鉄出口からの道をえらい間違えて、東日本橋の方へ・・・。気付いて戻ったときには既にオー…

OVIEDOから戻って

今回、ぼくらNON STOPの大黒柱であり親分であった峰松さんが急遽亡くなって、しかしそれでも峰松さんが準備して仕事をしてくれたこのOVIEDOビエンナーレは、現地のカルメンさんやカタルシス画廊のアルフォンソさんやヘスー…

悲しみの先に

悲しみの先に何があるか? 未来だ。 僕は生きる。

ゲーム

知人の方のところにあった「願い事が叶う」というゲーム。 けっこうルールが?なところもありますが、楽しんでやってしまいました。 こういうイメージを使うゲームってよくあるよね。 それにしても「願い」って案外難しい。。自分の浅…

意見を述べる

意見を述べること、これがただ単に思ったこと、感じたことだけを述べるというのであるのは、とても幼稚なことなんではないか。 言いたいことだけを言う。 ここにコミュニケーションは生まれないな。 本音を言い合うことがめずらしい環…

知ってどうなる?

知ること。 知ることは僕らの日常の平面的な観点から脱却させ別の観点の存在を示す。 知ることはさらに知ることへの欲求を生み出し、物事の本質への欲求を促す。 知ることは私たちの小さなあたりまえの行為がそれそのままで途方もない…

Karen Daltonの声

Karen Daltonの声を聞くと高野 悦子の『二十歳の原点』をふと思い出す。

こっそりとマイブーム

そんな感じで人知れずやっているのが「なんば歩き」。 歩いてるんだから人知れずではないのだが、普通にみてても誰も分かる訳もない。 「なんば歩き」とは簡単に言って普通の右足だしたら左手がでる、というのと逆。 右足でたら手も右…

行方不明情報が

ミクしい、久々に見たら友人のSatomiさんのところでこんな情報が。 日記はブログに設定していたので、とりあえずこちらにコピペしました。 ハチドリではないけど、やれることをと思い。 ~~~以下コピペ~~~ なんか大変な事…

手のひら

むしろ 手のひらをこそ 見据えるべきである 彼は最後にそういった 白い顔して 長い手をのばして 太陽から身を隠すようにして 古びた瓦礫のなかから出てきては 麦を手にして 大地を這っていた 高い 高い 木の枝の向こう側 風…

小説の世界

最近、めっきり小説を読んでいなかったからかな? 彼女から薦められて久しぶりに読み始めた「博士の愛した数式」。 寺尾聰が主演で映画になってて、本もベストセラーってことも知ってた。だからかすぐに読みはしなかった。 でもひさし…

固いと柔らかいのあいだの言葉

つい考えた事をきっちり書こうとすると、言葉が固くなる。 気を抜いて好き勝手に書くと詩あそびのようになる。柔らかいといえるかどうかは分からない。 思ったのは両方とも自分の言葉なんだけど、なんだろう、どうも自分の身体と距離が…