知ってどうなる?

知ること。
知ることは僕らの日常の平面的な観点から脱却させ別の観点の存在を示す。
知ることはさらに知ることへの欲求を生み出し、物事の本質への欲求を促す。
知ることは私たちの小さなあたりまえの行為がそれそのままで途方もない大きな出来事である可能性を想像させる。
「知ってどうなる?」
これは知ることへの怠慢ではないか?
知ることの理解不足ではないか?
知ることによって自分が何をしてきたのか、
何が変わったのか
知らないのだ。
それを知るのは自分自身でしかないのに。
だが、はたして
僕らは答えられるのか。
”本当に「知った」と言えるのか?”
という問いに対して。
僕らはどれだけ”そのもの”に向き合っているか?