小説の世界
最近、めっきり小説を読んでいなかったからかな?
彼女から薦められて久しぶりに読み始めた「博士の愛した数式」。
寺尾聰が主演で映画になってて、本もベストセラーってことも知ってた。だからかすぐに読みはしなかった。
でもひさしぶりに「小説」という世界に触れて、驚いた。
これはすごいものだなあー。
それは最近いろいろ物事を分けて考えてることに由来する。
いろんなものが「存在」「時間」「空間」このどの要素にあてはまるか。そんなことを思ってみたり。
(アートはインスタレーションがでてより空間的になったが、もとは存在、これのみに関わった芸術だと思ってる。もちろんここからどう時間や空間に関わるか、なんて思ったりもする。音楽は時間と空間の芸術だ。映画も音楽に近い。建築は存在と空間が主かな。それぞれがどのようにこれらの要素と絡んでるとか思ったり。)
文字はそのまま、変わらずに紙の上にある、存在している。古本屋なんかに行けば、本とは存在だってことがよくわかる。紙に印刷された言葉のまま数年数十年とその場所にいるんだから。
しかし小説はそれだけではなにもならない。読まないといけないからだ。この読む、ということが小説の世界なんだなー。文字を追って読む。1行1頁、そしてすこしづつ読んだ人の中にその集積が刻み込まれてゆく。そうした読む行為というのは時間に関わるわけだ。どんな小説だってこの読む時間がなけりゃあ無理だ。
小説っていうのは存在と時間とに強く関わる芸術で、そしてさらに読む人の頭の中にその小説世界がイメージとして、空間を作り出す芸術なんだ。だから単に本でなく、小説なんだよね。小説がもっともそのイメージの空間を作るから。