“present”から考える今と贈与の関係(1)
”present”という英単語が「今」そして「贈りもの」という
一見まったく異なった2つの言葉を意味していることに、ちょっと興味を持ちました。
それぞれの言葉は知っていますけど、
気づくと、ああ確かに、同じ単語だったんだって感じですね。
presentの意味を伝える名言
この2つの意味を持つ言葉として、presentをネットで調べると、
エレノア・ルーズベルト、という人の名言がよく登場します。
こういう詩です。
昨日は過去のこと。明日は未知のもの。今日は贈り物(プレゼント)。だから「現在」(present)のことを「プレゼント」と呼ぶのです。
https://todays-list.com/i/?q=/エレノア・ルーズベルト/1/1/
ああ、なるほど、、
過去と未知の間にある現在、だからプレゼントなのか、、と
この方のこの名言だけで、なんとなくこの2つの意味を持つことが分かったような、、、
でもなんかほんわりとしすぎてて、モヤモヤがたくさん残っています。なんだろう。
presentの語源
別の側面から見てみましょう。語源です。
この”present”という単語の語源は、
どうやらラテン語の praeesse(近くにいる)という単語に由来するそうです。
『ジーニアス英和大辞典』の説明によると、現在を意味する present はラテン語の praeesse(近くにいる)という単語に由来するそうです。
一方、贈り物を意味する present は古フランス語の presenter(贈り物をする)に由来するとのこと。
これを見る限り、全く別の語源なのかな?と思いますが、『Wiktionary』の説明を見ると、古フランス語の presenter も、もともとはラテン語の praeesse に由来すると書いてあります。
https://whitebear0930.net/archives/5013
「現在」そして「贈りもの」両方の言葉とも、
「近くにいる」というラテン語”praeesse”の言葉に由来しているのは面白いですね。
”present”という言葉の歴史には、この「近くにいる」というニュアンスが隠れていそうです。
「贈与」としてのpresent
ここでちょっと、”present”の一つの意味である「贈りもの」という言葉を
「贈与」として同じ言葉として捉えてみます。
そして、
『世界は贈与でできている』(著:近内悠太)という本で書かれている
以下の「贈与」という言葉の定義から考えてみます。
「贈与は、受け取ることなく開始することはできない」
『世界は贈与でできている』P45
「贈与」って言葉で思いつくのは、贈り手側の主体な行為、
つまり「僕は君に〇〇をあげる」という一方向の行為で、
受け手はそれに「どう反応するか」という受け身な立場、という構図がなじみやすい気がしますが、
この本で書かれていることは、そうではないんですよね。
同じように、「これをあげるから、それをして」という計算可能な等価交換でもありません。
誰かが、受け取ること、もしくは「宛先」があることによって贈与たりえるのです。
引用を続けます。
贈与は差出人から見れば、たしかに「届かない手紙」かもしれません。ですが、受取人の視点に立つならば、贈与は「届いていた手紙」になるのではないでしょうか?
それは、届いていたことに気づかなかった手紙、あるいは読むことができなかった手紙と言えます。(略)
だとしたら、僕らにできることは「届いていた手紙を読み返すこと」ではないでしょうか?
『世界は贈与でできている』P117
贈与においては、僕たちは差出人(贈与を行う立場)というよりも、
「受取人」として、
「届いていたことに気づかなかった手紙」に気づき、
その「届いていた手紙」を見つけて読むことが求められる、と。
つまり、贈与とは、
気づかない内にどこかから届いていた
その贈与の存在に気づくことができるか、どうか、
ここがとても大きな鍵のように感じます。
でも、
「すでに手元に届いているはずの、誰かからの手紙」は、
どうやって見つけることができるのでしょう?
ちょっと長くなってしまったので、
続きは次回に投稿したいと思います。