自分の中のJR西日本

最近福知山線衝突事故後のJR西日本の社員たちの行動が問題として取り上げれられ、社内の体質が問題になって、ため息すらついてしまうようなニュースばかりだが、でもこの社員の人々ような、事件を他人事のようにとらえる感覚って、単に一つの会社だけにあてはまるんじゃなくって、誰でもそうなるような感覚があるのでは、このことによって深刻化していた日本人の心が浮かび上がったようにも思える。
そのような状況を日々想定すらしていない、で事が起きたらどうしていいかわからない。思考停止に陥って、結局日常の、目先のことしか考えない。対処できない。その行動が後日どのようなものとして捉えられるのかその時は考えることも出来ない。それを考えることをあえて避けているようでもあったろう。これって、個々人の危機対処能力の欠如そのもの。
でも自分の中にもひょっとしたらこうした無感覚、危機対処、リスクに対する考えはあるかもしれない、ということを考えるきっかけでもあった。
どこかに所属しているという参加・責任意識の欠如、責任回避、現実逃避、事件が自分の行動と結びつくかわからないという自分と社会との距離感などなど。
それは戦争に対する感覚、社会へ参加するという感覚、政治への感心にも通じる。
想像力も必要不可欠だろう。
社風ということで片づけてはいけない気がする。
今の日本人に欠けた、深刻なものを彼らは如実に示した、とも捉えられるのではないのか?