アファメーションについて思うところ
ヒプノタイジング・マリア(著:リチャード・バック)より引き続き。アファメーションのサンプルともなるかという箇所がありました。新月は元旦に過ぎましたが、今月末の31日にもありますし、3月は2回あります。
※アファメーション(affirmation)とは肯定的な断言をする事。個人的な「誓約」をする事
出典:アファメーションとは – はてなキーワード
幸せと成功を引き寄せる言葉の力、アファーメーション(naverまとめ)
ぼくの身に起きることは、必ずそれに関わるみんなに良い影響を及ぼす。
ぼくはいつも人から親切にされる。ぼくが人にそうするのと同じくらいに。
ぼくはいつも偶然の導きによって、互いに何かを学び合える相手に出会う。
ぼくがこうあろうと決めた人間になるのに必要なものは、必ずちゃんと自分の中に用意されてある。
ぼくは自らが身の周りの世界を創り出したこと、いつでも望むときに自分の暗示の力で状況を変化させ、好転させられることを、常に意識している。
ぼくが変えようと企画したとおりに世界が変化してゆく徴候はくりかえし現れ、すべてが順調に進行中であることを教えてくれる。ふたを開けてみれば想像していた以上に良い展開だった、ということはしばしばある。
なにか疑問があるときは、必ずはっきりした形で答えが返ってくる。その場で答えがぱっとわかることもあれば、忘れた頃にふとやって来る、心の内から湧き上ってくる。(P160 ヒプノタイジング・マリア)
本ではこれらの言葉の後に、自動書記のように勝手にこのアファメーションの続きが書き足されます。それがこちら。
ぼくは今ここにあるがままで完全な命の完全な表現である。
ぼくは自分の本質と自分に備わった力が、いかに外側の世界に影響を与えるか、日々理解を深めつつある。
ぼくの至高の自己(ハイエスト・セルフ)が、この旅の間じゅう、ぼくを守り育み、導いてくれることに心から感謝する。
さて、このアファメーション。僕は彼女から教えてもらってから少しづつ行うようになったのですが、考え方が本当に難しく、未だに戸惑いが抜けません…
自分の望むことや欲求を述べたり書いたり、というのはだれでも子供の頃からいろんな行事を通じてやってますから簡単ですが、このアファメーションはそうした態度ではありません。上に書かれているように、現在の心境を述べるように、現在進行形で書く、というのが大切なようです。
通常、要求したり望んだり「〜したい」で述べられる事態・現象というのは、前提として現在の自分はそれが不足している状態、そうはなっていない状態です。「自由が欲しい」と言う人は「自由がない」という現在から発する。だから要求する。普通そうですね。しかしアファメーションではそうではないのです。欲求はすでに満たされているという自分になる、ということがポイントのようです。
ここが自分でも今ひとつピンとこないところです。「望んだ状態になっているかのように振る舞う、演じる」のか「望んだことが叶えられているはずと信じる」のか…。
でもその望みを望みとして成立させるには、必ず前提としてそれが不足している自分という認識がなければ、そもそも望みとして言葉に出すことも出来ないはずです。自由な人間は自由を欲したりしません。すでに自由を享受して自由を忘れています。ならば自由を欲している人間は自由を享受している自分として書く、というのでしょうか?それは不可能です。偽りです。なぜなら自由がないから自由を欲しているという自分であるからこそ、自由を欲している自分を知っているからです。
でも、こう考えるとアファメーションはうまく行きません…。
今しがた僕は、例えを用いて自由を欲している人が自由を享受している自分をイメージして書くことは不可能、偽り、と書きました。
ここでの「偽り」とは何なのでしょう?なぜイメージが「偽り」と断定されるのでしょうか?それがむしろ問題なんです。なぜ僕はここで「偽り」としてイメージすることを遠ざけてしまうのか、「イメージは現実ではない」という思いがあり、自分の欲求は現実の状況によって作られている、という考えが固定されているからでしょうか。イメージを「〜のつもりになって考える」とすれば、他人の立場にたって考える、相手の状況を鑑みて考える、ということと大差ないようにも思います。だけどなぜそれが未来の自分であるとき、イメージすることに抵抗するのでしょう?
別の例えで考えます。
お金がありません。(事実)
だからお金が欲しい。(欲求)
お金があればこうしたい、ああしたい。(妄想 「あれば」という仮定の上での話)
お金があるのでこうしている、ああしている。(欲求からの想像?)
妄想と想像がごっちゃになっているようです。アファメーションでは欲求でも妄想でもなく、「叶えた状態を現在進行形で書く」のであれば、僕は、「お金があるのでこうしている、ああしている」という状況を描くのが望ましいのでしょう。
しかし、この状況を描こうとする自分の動機が、どうしてもお金がありませんという事実によって成立されていることを知っているので、状態を現在進行形で書いてもウソっぽいというか、自分で白けてしまうのです。
白けてしまうのは、お金がありませんという事実によって成立されている自分に、つよいこだわりがあるのが見えてきます。そうしてここで、自分にはその欲求を抱いている自分が許せていない、ということに気づきます。(お金が欲しいなんて、、それよりもできることがあるだろう、欲する前になにか行動したのか、等々自分を責め立てる言葉が背後に潜んでいます。)
結果、以下の様な態度が解決のヒントかなと自分では思っています。
- 未来の自分(そこではすでに自分が望む自分になっている状態)を想像し、その未来の自分を現在に連れ戻して書いているような気分で書く。
- アファメーションをする自分を許す。
- 不足している欲求があるから欲求していることを受け入れ、それに抗わない。正直になる。
こう考えると、素直に望むことを望めないでいる自分の頑固さ、といいますか見栄っ張りな態度がまだまだ多いことを実感します…。