思想のための自由空間?
昨日引用として書かれてあった「主流の価値観に対抗する思想のための自由空間」とは、たんに新しい視点、とか新しい価値観ということなんだろうか?
ここで言われている「自由空間」という言葉には、それだけでない意味が含まれているんじゃないかと思ったりもした。
それは「空間」という言葉から想像できるように、既成の価値観、主流の価値観というものを自由度の少ない閉ざされた部屋とすると、その周囲の壁を取り払い、自由に立ち回れる空間をつくることであるようだ。
それは新しい視点、新しい価値観というものも確かにそのような役割をもっていると思えるけど、「自由空間」という言葉にある「余白」がとてもおおきな意味をもつんじゃないだろうか。「余白」は他者を受け入れるスペースかな。コミュニケーションにも強く関わってくるようだ。
既成なり主流の価値観というものはそれなりの強度があるけど、他の人々から距離が離れやすく、ともすればその中でしか通用しないということもあったりする。そこに他の人々たちも共に参加し、集まってくることができるスペースを作ること、それこそが「思想のための自由空間」というものかもしれない。
では「新しい視点」にはそのようなスペースを作る力がないんだろうか?
「新しい視点」とは発見だ。驚きでもある。それ自体が強い力で吸引力を持つけど、その吸引力によって集まる「場」を想定していない。
でもこの場合どれだけの驚きを与えることができるか、にかかっているようだ。それが大きければ大きいほど「場」は自発的に広がっていくのだから。でもこれは強度だけにかかわっているから、どうも人々に対する優しさのような感覚が足りないように思ったりもするなあ。
既成の価値観を壊して 新しい価値観を創造すること
何か新しい価値観が生まれる時 同じ事を発見する人は同時に何人もいるいるらしい。
形にするか、しまいか?
新しい価値観はその人に根ざしたものでないと弱いような気がします。
アーティストは変わった事をすればよい。かわらなければならない?変わり者?
新田さん 初書き込みします。わかりますかね?
contacttheskyさん、書き込みありがとうです。(わかりますよ!)
人それぞれに根ざした価値観って強いものですよね。
根ざしているってこと自体とても価値のあるもので、人の生きている姿ってどうあれ価値観をどう備えているかっていう(何をどう見、どう感じるか)ことがとても強いような感じにも思えるんですよ。
アーティストは人それぞれにある価値観の姿で勝負し続ける人。変わったことをする必要も人それぞれと思ってます。
それがなにより「根ざしたものかどうか」が一番、ほんと大事だよね。
凄い深いお話聞けて、ためになります。
根ざすものは?
自然との共生とともに私も今、
見つめ直しています。
きっと、お2人にとって、
素敵な日々になる事を、ささやかながら
願っています。。
Mond_Land_Shaftさん、コメントありがとうございます。
自分に根ざしたものとはなんだろう、それは過去や未来を含めた今生きている自分の日常、生活、社会を含む世界そのものを感じ、考えることからかなと思います。
そこからしか本当の新しい価値観はありませんよね。
それを掴んだらどう現実化するか。contacttheskyさんが言うように、アーティストにとってこの現実化することがなにより大切なのだと改めて思いました。
そしてそれはどう他の人々と繋がりあえるのか、いろいろ考えます。
より多くの方々にとって、素敵な日々となることを、僕も願いたいと思います。アートとともに。