「自分」という存在に頭の上から「スポッ」と入ってきた感じで

12/8に書いた「すなわち「私とは何か、と問うこれは何か」」で書いた

私が生きているという、そのこと自体に気づく存在、

についての続きですが、

それは、「日常の私」という

設定内での視点からの脱出と言えるかもしれません。

 

僕たちの「日常」というものは、

「この顔、この名、この生い立ち、性格、世界観(by 池田晶子氏)」とか、

性差(自分が男か女か)、体調、仕事(職業)、過去(思い出・記憶)、目的・目標、環境・状況

くらいに思いを馳せていればまぁなんとか問題なく過ごせる感じです。

 

だけどたまにはこうした「日常」から

ピョンと抜けだしたい気分になることもあります。

 

そんな時僕は、時折自分を

全く別の存在のようなものから見えるような設定に置き換えて

眺めてみる事があります。

 

この時代、この国、

この肉体、この性格、

この価値観、この状況、

ここで経験できることを望んできた存在だとしてみる

 

こうしたイメージを抱いて自分という存在に降りたったような感覚、

つまりこの「自分」という存在に頭の上から「スポッ」と入ってきた魂の気分になってみるのです。

(逆に考えれば、日常での私との一体化を捨ててみる。)

 

するとそれまで目にしていた風景とか、感じたりしていたことが、

まるで別世界のもののように、生まれ変わって興味深く見えてくると言いますか、

そのどれもが初めてこの世界を見たような、

面白くてしょうがない気分になってくることがあります。

 

まぁこんな気分はほんの僅かな間ですし、

いつもうまくイメージ出来るわけでもありませんが、

たまに自分の置かれた環境や状況なんかがどんなものであっても、

変わることのない美しさで見えてくるという経験は

なかなか興味深いものです。