「家」のこれからの色々
自分が普段通っている通り道に、
古風でもとてもきれいに暮らしていて雰囲気が良く、いいなぁと思える家が
ある日突然解体され、更地にされ、全く別の建物が建てられる…
直接関係ないにしても、少し悲しい気分になります。
僕の場合は単なるきれいな一軒家なのですが、
今の日本には建物として、たとえ地域にとって価値がある建物であっても、
建物を評価するシステムがないために、
管理できる人がいなくなったりしたことで廃屋となって廃れてしまい、
解体され、また新しい建物が作られるという仕組みばかりが先行されてしまうようです。
ですが最低限の補修と修繕などにより、
その建物を蘇らせるだけでなく、
地域の文化交流拠点として再活用されるような例も最近はよく耳にします。
廃屋寸前の民家を、まちのみんなが使うレンタルスペースに。「うおまちのにわ 三木屋」を手掛けたブルースタジオ大島芳彦さんに聞く「これからの豊かさのつくりかた」
http://greenz.jp/2014/12/11/renovationschool_ooshima/
この記事は地域や外部の人たちが集まって、
ワークショップという形式で掃除することから始まっています。
掃除をワークショップとして始めるというアイデアっていいですね。
この記事で登場する、ブルースタジオの大島芳彦さんは、
現代の日本人にとっての日常へのとらえ方があまりにも浪費的といいますか、
誇りが失われていると指摘しています。
僕が大切にしたいと考えているのは、「日常」をどう受け継ぐかということなんです。我が国では文化財の“保存”“修復”はお家芸みたいなもので、技術も非常に高いんですね。
一方で、あたりまえの「日常」を生活しながら誇りを持って使い継ぐメンタリティが希薄。これは欧米と比べて非常に劣る部分です。
文化財だけでなく、日常生活に対する誇りを持たないとそもそもの生活文化は潰えてしまうのです。
日本がこれまでやってきた政策=スクラップアンドビルド方式は、
発展することだけが前提となった、経済優先のやり方のようですが、
今後ますます、既存の建物をいかにうまく使いこなしていくかという
提案や手法・技術がもっと求められると思われます。
僕としてはそれに伴い、
「家族」の象徴ともいえる「家」という認識それ自体が
居住スタイルとともに、だんだんと変化(多様化)していくと面白いなと思います。
シェアハウスのように、複数の人たちが住むこともそうですし、
一般家庭が海外からの旅行客を迎え入れることもそうですし、
いわば「家」に住んで(所属して)いる人という関係が
ゆるやかといいますか、そうした傾向がもっと多様に生まれてくると面白そうです。
(一人ひとりがいろいろな場所に住む場所を持っているような)
一方で、「家」はとてもプライベートな空間で、
かつ外敵から共に暮らす人たちやわが身を守る機能もあります。
そうした機能は、その家の周囲の環境や社会、時代を反映しているわけですから
建築は単なる「ハコモノ」ではなく、その場所、その環境を代表するものとも言えるかもしれません。
となると、地域にとって価値が古くから認められている建物を
姿形をできるだけとどめておきながら
新しい役割を付与する仕事というのは、楽しそうだと思えてきます。