“present”から考える今と贈与の関係(4)
こんにちは。
前回の投稿では、
気づきによって「今」は「今」となり、
「贈与」は「贈与」となる、と書きました。
そして次に、
自分の感覚を中心とした在り方を示す「今」という言葉と、
気づかない内にどこかから届いていた、そのの存在に気づくことである「贈与」、
この両者が、実は表裏一体のように
同じものを指しているように、僕は感じている、
と書いたところで止まっていました。
続きを書こうとしていたところだったのですが、
この「今」と「贈与」が
同じものを指している
というところからの行き着く先について、
僕の興味が失われてしまいました。
なにか、あまりにも収まりが良すぎるというか、、、
むしろなぜ、これらが同じものへと繋げていこうとしたのだろう?
それらは「別々のまま」でいることで、いいんじゃないだろうか?
この”present”という言葉が持つ、
「今」と「贈与」
意味の違う言葉が併存していることと、
それらはそれぞれに「気づき」によって
「今」は「今」となり、
「贈与」は「贈与」となる。
ここまでに留めておきたいと思います。
ちょっと尻切れトンボ感があるかもしれませんが、
ここから先は、あえて手放して余白を残しておきたいと思います。