3Dプリンターの未来を思う

3Dプリンターの未来を思う

3Dプリンターというテクノロジーの将来性については

本当にいろいろと想像が広がってゆくのですが、

やはりまずは素材ですよね。

どのような素材で完成したものが出来上がるかが気になります。

 

3Dプリンターって出来上がる素材は樹脂しかないのかなぁと思っていましたが、

今は金属に対応するようなモデルもあるんですね。(高額なようですが)

 

設計図がオープンソースとして広く共有できる運動なども始まっているようですし、

こうした動きが身近になると、

ますます3Dプリンターでものを造るということが当たり前になると思いますが、

現代では出来上がったあとどうするのか、という問題も必要になりますね。

古くなったり、壊れたりした時への対応であったり、

ゴミとして処分する場合の環境負荷、または再利用などによる環境への配慮など。

いったん生成前の段階まで戻して、繰り返し使用できるような素材など

強度の問題とかありそうですが、

できるようになるとさらにいいなぁと思うのですが。

 

また3Dプリンタでは食材での制作ができるようになってきているようですので、

(パウダー状のものを水や油と合わせて生成する仕組みのようで、別の問題もよぎりますが)

食以外においても天然素材による環境負荷のない素材、

リサイクルができる素材というもので広がってほしいものです。

 

3Dプリンターは今後ますます3Dスキャンとともに

解像度がさらに細かくなっていくでしょうし、

生成されるものも天然でかつ複合的な素材が組み合わさったものなどもできるようになると

「自然のものと見分けがつかない」ほどにまで発展するように感じています。

そこまで発展するにはいくらか時間が必要かもしれませんが、

3Dプリンターには「モノ」と「生命」についての問題、

さらに「生命」を支える思想や哲学が必要になる問題が孕んでいます。

現代では“規制・罰則”として取り締まることでしょうが、

そうした根幹といえる部分は、大量消費大量生産時代にあって

散々言われ続けていながらも

このようにテクノロジーばかりが先行してしまいます。

 

僕が思う未来では、こうしたテクノロジーを一般的に活用しつつも、

それを支える根幹としての自然・生命に対する思想や哲学が社会で広く浸透しているものです。

 

いや、現代にもこうした思想・哲学は当たり前のようにあるはずなんですよね。

しかし利益優先であったり市場経済が優先されるために後回しになっている

というのは少し夢想すぎますでしょうか・・・。

 

写真出典:http://www.omote3d.com/gallery/index.htmlより