引っかかっていることから少しづつ向き合う

引っかかっていることから少しづつ向き合う

今少し、心に引っかかっていることをちょっとだけ書きます。

 

ほんの少し前、とあるオンラインでの集まりの場で、

自分では、まったく思ってもみないことを

ただその場限りで、つい、言ってしまったことがありました。

 

Aさん「なんか〇〇さんのような雰囲気になったように感じます。」

自分「えっ、ホントですか?」

Aさん「うん、なんというか、そんな感じを受けましたよ。」

自分「それっていい意味で?(笑)」

Aさん「もちろん、いい意味で(笑)」

 

集まりの最初のところで

こんな会話だったと記憶しているのですが、

 

僕がずっとそれ以来、引っかかっているのは、

 

「それっていい意味で?(笑)」

 

そんな、聞き返しを、

なぜ発してしまったのか、

ということです。

 

 

これは単純に裏を返せば、

「〇〇さんのよう」という言葉で示される意味には

悪い意味もある、と思ってることが前提になって成立することだし、

そういう受け取り方も可能である、

と共通していることで成立する返しだと思えますが、

 

それをおちゃらけて冗談っぽくいうことで、

その場にいない〇〇さんを、

まるで裏で笑うようなことになるような会話を

その場にいる友人たちにさせてしまったのではないかと、

そしてそんな言葉を発した自分が嫌われてしまったのではないかと、

ずっと小さく引っかかっているのです。

 

 

問題は、

(これはホントに言い訳でもなんでもないのですが)

僕はその〇〇さんに対して、

まったく悪い意味が成立するような人だとは、

これっぽっちも思っていなかったことです。

 

であるのに、そこでついそんな返しを口走ってしまった。

 

つまり、まったく意識していないし

思ってもいないことが、

ただその場でその時に口から出てしまったのです。

 

 

これはどうして起こったのだろう・・・

 

 

自分の中で、何度となく、

思ってもいないことでも、軽口のようなセリフを吐くことで

自分を認めてもらったり、

その場が成立できていた

そんな過去から来ているのでしょうか。

 

(まるで子供が不良の仲間に入る時に、自分も不良であることを示すような態度をするように)

 

しかもそれは、たいがい

調子に乗っているような時、

何も考えていない気楽な時こそに発生するのです。

 

 

だから僕は、時に

 

「自分は本当に心を開いて、調子に乗って

コミュニケーションをしてはいけないのだ

なぜならそうした時には

誰かを貶めたり傷つけたりすることになるのだから」

 

という想いが沈殿して

自分を自縛しているように感じることがあります。

 

以前よりはずいぶんと楽になりましたが、

それでもこのようなことをきっかけに

そんなことを思い返します。

 

 

 

ただ、みんなと仲良く楽しく過ごしたい

それだけであればよいのですが、

 

たぶん

嫌われたくない、

という気持ち

 

そしてそれは、

寂しいと感じることが怖い

とか

人から、特に少しでも僕が大切と思う人たちから

僕には話す価値がない、と思われることが怖い

 

そんな感情があるだろうと感じます。

 

 

 

こうしてある程度

引っかかっていたことに向き合えたことで、

 

そうしたところで

ひっそりと怯えている心があることを知り

 

そしてそんな想いを抱いている僕の心に向き合い

しっかりと受け入れてあげたいと

改めて思いました。