#016: スパイラル・ダイナミクスの用い方
『未来の世界を想像するチャンネル』。#014,015とちょっと続けて、
インテグラル心理学に載っていた「スパイラル・ダイナミクス」について、
思いつくところを話していたんですが、
ここのところをもう一度深めていけないかな、と思っています。
具体的に、その深め方なんですけども、
未来の世界をイメージするときに、
出てくる(未来の)人間の姿とか在り方っていうものを想像したときに、
このスパイラル・ダイナミクスを用いて、
どの意識レベルというか、自己レベル。そこにあるような人たちが、中心に過ごしているんだろう、
というところが見えてくるのかな、というところです。
その背景として、200年後の未来の世界においては、
人類が、地球に住むあらゆる動植物の生命体のバランサーであり、
すべての種が可能な限りバランスを持って生きていける、
そういうふうな環境を整えて生き続ける。
そのために、今、その200年後の未来の世界に住んでいる、ということです。
同時に、「人新世」という地質学の言葉があったけれども、
今の世界というのは人新世というふうに言われているように、
人間が作り出した化学物質とか、いろんな物質、そういったものが地層のレベルにまで影響していて、
数千年とか数百年経った後に振り返ったときに、
地層の中にこの人間の痕跡というものが残っているようなレベルになっている、
その時代だ、というところがあると。
そういうふうにいえば、地球上に爪痕をもうすでに、
今の時代の僕らは残している世代なわけですよね。
で、未来の世界というのは、その残したその先に、
僕らが残してしまった爪痕を、緩やかに自然に戻すような働きをしている、そんな世代だと思います。
で、その時に考えると、未来のその200年後に暮らす人々というのは、
少なくとも自分たちが、
「なぜ地球上に暮らす動植物のバランサーの役割をしなきゃいけないのか」
というふうな不満を抱くようなものであるとか、
「200年前の過去の人間がやってしまったこと――今の僕らの現代ですよね――
やってしまった爪痕を引き継いで、処理しないといけないのか」
そういうふうな批判が生まれるようなことは、あまりないのかなと思っています。
もちろん、それに甘える人は、全然今の世界にもいないわけではないんだけども、
少なくとも、そういったところがなくなっていて、
未来の中では、そういうふうな自分たちの役割というものを理解して受け止めて、
「過去は過去。200年前は、それによって出来たこともあるし、それによって達成されたこともある。
それぞれの段階だった」っていうね。
スパイラル・ダイナミクスの中で話が出たように、
第1層・第2層があって、
第1層のレベルの中では、それぞれの段階は尊重することができない。
自分が今いる位置の段階しか尊重できない。
でも、第2層に達した時には、それぞれの段階を尊重し合いながら、
そこで必要になったレベルというものを理解することができるし、受け止めることができる。
そういうふうに、200年後の世界の人たちも、
今、自分たちが仕事として考えられる、人類の中での環境において、
バランサーの役割を受け止めている、ということであるとか、
200年前、今の僕らが行っている、こういった地球への大きな爪痕・痕跡、
そういったものに対しての捉え方というものも、
第2層という形の意識レベルで、
「その時(時代)に行われた役割があったんだ」というふうに踏まえながら、
歴史も捉えることができる、というふうなところになるのかなと思います。
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さらに深めていく、というところなんだけども、
このスパイラル・ダイナミクスというモデル、
先日もお話ししたところではあったんだけども、
使い方というのが結構なかなか難しい。というか、
こういうモデルを簡単に使うことによって、
人間のジャッジメントがしやすくなってしまうモデルにもなり得るかな、と思ったりしているので、
そのあたりというものは、僕自身も、いろんなこれからの取り組みの中でも気をつけていきたいなと思うし、
その捉え方、取り組み方。
どういうふうにこのスパイラル・ダイナミクスというモデルを用いていくか、というところ。
用いる人の意識レベルというか、
そういったものがどの段階にあるのか、
というのもまた(用い方によって)表現できているのかな、なんていうふうに思ったりもします。
例えば、ブルーの段階のように秩序を重んじるような意識レベルであれば、
こういったスパイラル・ダイナミクスという、ある程度モデルが出てきたときに、
「それぞれのレベルは、ちゃんとした段階であり、明確なラインが設定されていて、
それに伴って、人は変わらなければいけない」とかね。
「それに合わせて、この人は今ここにいるからこうだ」とか、
ジャッジメントの判断にこう使う、とか。
そういったものが行われる可能性もあるのかな、と思ったりします。
なので、スパイラル・ダイナミクスというモデルは
第2層の意識の中において、初めて用いることができるのかな、と。
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さらに、このスパイラル・ダイナミクスで、
ちょっと説明が欠けていたところがあるんだけど、
これって「一人の人間の属性を示す」というものではない、
というふうにどこかで書かれていました。
それぞれを表現する、というふうな書かれ方があって、
いわば、このダイナミクスで描かれるベージュ、レッド、ブルー、オレンジ、グリーンとか、
そういったところのものは、
一人の人間が今「どの、グリーンのレベルなのか」とか「ブルーのレベルなのか」とか、
そういう話ではなく、
「一人(一個人)の中においても、いろんなレベルが複数交わっている」
というところが理解として必要だ、というところです。
なので、「私は今ブルーだ」とか「君はグリーンだ」とか、
そういう話ではなく、
私の中においても、いろんな局面や要素、関わり方。
それぞれの関わり方において、このスパイラル・ダイナミクスのモデルというものが、
いろんなところで発生している。
複合的に行われているモデルだ、というふうな理解の前提が、
とても大切になってくるのかなと思います。
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そういったところで、
簡単なモデルとして割り切りやすいところがあって、
それはそれで面白いんだけども、
また、このインテグラル心理学の本にも、
「このグリーンの性質を持っている人は、全体の人口の中で何%ぐらいだ」
とか、そういうふうな書かれ方がしているから、なおさら、
「今僕はこの属性かな」とか、「このパーセンテージの中にいる人間かな」とか、
そういうふうに思ってしまいがちでもあるな、と思うんだけども。
一人の人間の中においても、
それぞれの関わり方――
会社で人と関わるとき、上司と関わるとき、部下と関わるときとか、
お店でお客さんと関わるとき、店員として関わるときとか、
それぞれのいろんなところでの関わり方・接し方。
あとは親しい友人だったり、家族だったり、恋人だったり。
そういったところでの関わり方という中にも、
いろんなこの発達モデルにおける層が、
いろいろ表現される。時々において表現される、というようなものなのかな、
というふうに思ったりもしますので、
なかなか、一律的に考えると面白いんだけども、
実はちょっとそれだともったいないかもしれないし。
じゃあ、そうやっていろんなモデルがある中で、
どういうふうに使っていくのか、というところもう少し考えていきたいんだけど、
先ほどちょっと話が出たように、
200年後の世界で人間が暮らしているイメージの中に、
「こういったモデルで、どのあたりの人間がいるのか」というところって、
今ちょっと話したところと、また少し矛盾するようなところも、
自分の中ではあるような気もして、
なかなか、はっきりとはしていないところもあったりします。
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例えば、第2層で言われるイエローとかターコイズっていうふうなレベルになると、
ホリスティックな視点であるとか、
それぞれの第1層のレベルというものを、
それぞれの役割において「どういうところが必要で、こういうふうなことが起こっているのか」
っていうふうに、全体を見て、ホロン的、というふうな書かれ方がしていたと思うんだけど、
そういった捉え方、というところがあったんだけども、
それでも、一人一人の中に、またさらにそういったものが複合的にある。
複合的にあるんだけども、でも全体のレベルとして、
平均的におおよそ「この色が最も濃い」。
そういったところで一つ示されているのかな、と思います。
例えば僕の場合は、ブルーもあればグリーンもあるし、
主においてはレッドのところもあるし。
自分が脅かされたり、安全が確保されなくなったら、
ベージュ―、一番最初の、自分の生命を守ろうとする本能的な部分っていうのも
発動することがあるだろうし。
逆に、それがしっかりとしていないと、その次の段階にも行けないからね。
そういったところっていうのは、それぞれの関わり方や局面において出てくるとは思う。
それでも、日頃過ごしていたり、
こうやって未来のイメージをするときに、
僕はできるだけ第2層の意識でいたいなと思うし、
できればそれ以上の意識のほうで、
この地球とか社会とか未来において、どういうふうなイメージがあるのかな、
というのを意識しながら想像できればいいな、と思ったりもしています。