非暴力コミュニケーション、というもの

非暴力コミュニケーション、というものがあるそうです。

NVC(Non-Violent Communication,非暴力コミュニケーション)

コミュニケーションにおいて相手とのつながりを持ち続けながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法です。

http://www.nvc-japan.com/aboutnvc

購読している服部みれいさんのメルマガに以前紹介されていたので

なんとなく知っていましたが、

今日こちらのブログにてそのワークショップとともにYouTubeが紹介されていまして、

その内容が大変興味深かったので

内容を一部書き出しておこうと思います。

 

 

まず一番最初に手をつけた質問が、
「どうして人によっては、他人の苦しみが喜べるのか?」
「どうして暴力を楽しめるようになって、」
「悪と判断した相手を、罰する事を英雄的と思うようになるのか?」
「そして、同じ社会の他の人たちはどうして」
「正反対でいられるんだろう?」
「罰するべき悪い人がいると信じる事ではなく、」
「人々の幸福に貢献することに、彼らは喜びを見出す」
そこで見えたのが、
かなり異なった言語と意識を
暴力的な人々と、思いやりのある人々が
それぞれが持っているということだった
そこで、それを明確にしようと思った
お互いの幸福に喜んで貢献をする役に立つ
コミュニケーションとはいったいどういうものなのか?
そしてそのコミュニケーションのプロセスは、
暴力に貢献する人々のコミュニケーションとどう違うのか?
その後、私は非暴力コミュニケーションを生み出した
これは思いやりのあるやりとりを、生み出す役に立つ
言葉、それから影響力の使い方だ
次に気になったのが、もう一つのやりかたは
いったいぜんたい、どこで学んだのか?
それで興味を持ったのが、「これがどこで始まったか?」ということ
この惑星の上で起こる暴力の原因になるような、考え方や
コミュニケーションの取り方をどこで学んでしまったのか?
これに関しては、
学者や科学者、たとえば神学者のウォルター・ウィンクが
書いた本、「The Powers That Be(時の権力者)」や
彼に同意する人たちの意見によると、
それはおおよそ8000年前に始まった
細かい話はしないが、その頃様々なことが起こり
その結果、自分が他人よりも優位にあると主張する少数の人たちが
残りの人たちを支配するような構造が出来上がってしまった
時には、家系が神に近いということを優位さの根拠にした
そして、王族の神聖なる権利に基いて支配した
理由がなんであれ、自分たちが優位であると主張する少数が
大勢を支配する文化をもつようになった
そしてそれは支配するための言語を必要とする
人々が「何であるか」に基いて分類する言語である
その人は日雇い労働者なのか?皇族か?
「善」か「悪」か?「正常」か「異常」か?
そういう考え方が、支配には都合がいい
なぜなら支配構造(Domination Structure)では
頂点にいると主張する人たちは、
何が「善」で何が「悪」であるかを、知っていると主張し
彼らは権力をパワーオーバー(力の行使)の手法で維持する
それはたとえば、「罰」や「報酬」、「罪悪感」や「恥」などである
というわけで、「罰」や「報酬」の使用を正当化する言語を必要とする
それは報復的正義の言語で
そこでは相手が何に値するかを評価する
そして、それは相手をどう評価するかにかかっている
その人はいいか悪いか、正しいか誤っているか、等々…
そのように、おおよそ8000年前に始まったのだと思う
我々は支配構造を持ち始め
少数が大勢を支配するようになった
その前は、狩猟採集民族風の社会を持っていた
私が信頼する人類学の研究をする人々によれば
当時は、その後の時代ほど暴力を振るわなかったといっている
非暴力コミュニケーションは我々にとって、
もっと自然なコミュニケーションだと私が信じている状態へ
戻れるようにしてくれる
我々は進化上の障害物に引っかかっているのではないかと思っている
8000年前に起きた不幸な学習のせいで、
引っかかってしまっている
非暴力コミュニケーションは、生き返る手伝いをしてくれる
もっと自然な生き方へ戻る手伝いを
評価は、ニーズをどのように満たしているかに基いて行われる
我々自身のニーズと他の人のニーズを満たしているであろうか?
誰が「何であるか」ではなく、
誰が正しいか、間違っているか、誰がいいか、悪いかでもない
果たしてニーズは満たされているのか?満たされていないなら、
全員のニーズを満たすために何が出来るだろう?
それが、非暴力コミュニケーションの言語である

 

こちらで述べられている8000年前の時代というのは、

前の記事定常的な社会というものであげられていた

第二期「定常期」・・・過剰な食料生産により土地から生産力を奪う結果となり、再び食糧問題・環境問題に直面した紀元前5世紀ごろ。インドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ヨーロッパでのギリシャ哲学、中東での後のキリスト教につながるユダヤ教といった「枢軸時代」と呼ぶ精神革命が起こった時代。

に該当する時代ともリンクします。

ここでこれまでに人類になかった意識、国家や支配意識が現れるという

(中沢新一さんの著作「熊から王へ」に書かれていたと記憶してますが)

時期とも重なるように思います。

非暴力コミュニケーションは、もしかしたらその前の古代の時代にあった意識を

「ニーズ」という言葉によって

取り戻そうとする試みかもしれないと思いました。