練度の高い正直
ほぼ日のコンテンツにおとなの小論文というコーナーがあります。最近はまって楽しく読んでます。テーマがいろいろ、考えさせられます。
タイトルの「錬度の高い正直」という言葉も、本日のおとなの小論文に載ってました。言葉自体は司馬遼太郎さんの言葉のようだ。自分の正直な思いをどう伝えればいいのか、悩みに悩んだ挙句に言葉が出てきた時、この意味を感じたとあった。
これは表現すること全般にいえることなんだろう。自分の伝えたいこと、表現したいこと、それは分かっていてもどう他人に、見てもらえる人に伝えるか。自分の正直な思いというものを錬度を上げて提示する、表現する。それ未満のものは人を動かさない。
錬度の高い正直。それには自分の正直な思いを正確に把握していなければいけない。その感覚を装ったり、偽ったりしちゃいけない。正直な思いそれ自体、しっかり把握すること、それはいいとか、いやだとかの価値感情をしっかりと捕まえておかなくてはいけないな。正直な思い、という固定観念にとらわれるのも嫌だし。それも錬度だな。