批判についての引用
批判は知的な行為ではない。批判はこちら側が一つか二つだけの限られた読み方の方法論や流儀を持っていれば簡単にできる。本当の知的行為というのは自分がすでに持っている読み方の流儀を捨てていくこと、新しく出合った小説を読むために自分をそっちに投げ出してゆくこと、だから考えることというのは批判をすることではなくて信じること。そこに書かれていることを真に受けることだ。
そんなことは誰も言っていないとしてもそうなのだ。非-当事者的な態度を投げ捨てれば、書かれていることを真に受けるしかない。言葉では「しかない」と、とても限定的な表現になるが、そこにこそ大海が広がっている。教養や知識としての通りいっぺんの小説なんかでない、生命の一環としての思考を拓く小説がそこに姿をあらわす。
(小説、世界の奏でる音楽 P10 著:保坂和志 新潮社)
ふとこの本からの引用をしてみました。
これは小説を批判することについて書かれていますが、
批判という態度において注意すべき点でもあると思っています。
とかく人や作品、その他のものを批判的態度で望む場合、
必要なのが、批判者としての足場の確保、
つまり「限られた方法論や流儀を持って」臨むことなのかもしれません。
以前このブログでは、
できるだけ他のものや他者を批判しないように書こうとルールを決めたことがあります。
- 人を批判的に書かない。
- 物事を批判的に捉えない。
以降できるだけ心がけて書いてはいますが、
批判はなにも「口調」だけではありません。
紹介の仕方だけでも批評的になります。
僕としては自分の決めたルールを尊重しつつ、
ほどほど自由にしながら、
ただ、大上段からの上目線だけは常日頃心がけて気をつけたいと思ってはいます。
(もっとも大上段から言えるほどの知識もありませんが 笑)