手元にある古い本

手元にある古い本

これは坂口安吾「堕落論」

 

巻末には、

昭和三十二年五月三十日 初版発行

昭和四十三年十一月三十日 十八版発行

昭和五十五年八月三十日 改版三十四版発行

 

とあります。

 

これは昭和55年(1980年)に販売された本ということでしょう、

つまり40年前の本です。

 

古本屋で購入したような跡もなく、

破れた表紙をセロハンテープで貼り直しています。

 

自分の記憶が正しければ、

おそらく二十歳前後に購入した本と思います。

 

つまり、1992年前後、

その頃にはまだ文庫は12年前のものを販売していたということでしょう。

(古い…)

 

この本は自分の「偏愛マップ」を作成中に

坂口安吾

という名前がでてきたので

久しぶりに手に取りました。

 

20代の前半頃、

この戦後を代表する作家の作品、

特にエッセイがとにかく好きでよく読んでいました。

 

少し開いてみましょう。

 

人間はまず何よりも生活しなければならないもので、生活自体が考えるとき、始めて思想に肉体が宿る。生活自体が考えて、常に新たな発見と、それ自体の展開をもたらしてくれる。この誠実な苦悩と展開が常識的に悪であり堕落であっても、それを意とするには及ばない。

デカダンス文学論より

 

 

 

「生活自体が考えるとき」

 

という言葉と、

当時の自分の姿を重ね合わせるとき

 

生活自体に根を下ろすことの怖さ

自分自身が無条件でありのままになることの怖さ

まだ誰からも受け入れられておらず

自分自身で受け入れることすら知らない

無垢で小さく怯えながらも

懸命に空の彼方へ手を伸ばし続けていた苦しさ

 

それ自体が小さな宝となって

輝きを持っていたように思えるのです。

 

その時の苦しさと

坂口安吾の言葉に憧れを抱く、両者の引き裂かれ感。

 

それを思い出したとき

僕は当時の自分に再び出会っているような

懐かしい思いに触れるのでした。