想像する未来について

future world imaginationとは、

そのコンセプトは文字のとおり、「未来の世界を想像する」ことにあります。

ではその未来の方向性とは?と言いますと、

開設当初にサイトについて以下のように書きました。

科学が新しい未来を作ってくれると信じていた19世紀や20世紀中頃まで、人々は次の世界がどのようなものになるのか、ワクワク想像しながら未来を描いていました。しかし現在、科学技術が人間を新しい未来に導いてくれるのではなく、古い時代から常に人間とともにあった自然との関わりこそが新しい未来を作り出せるヒントに満ちている、という思いが様々なところから生まれています。
https://nittashinzi.org/blog/future-world-imagination/about_future-world-imagination

 

現代に生きている僕たちの時代においては、

科学技術が大きな力となって色々な変化が起きました。

ですがそうした科学技術テクノロジーだけが発展し続ける未来というものは、

本当に魅力的なのでしょうか?

 

最近NHKで未来の世界についての番組がやっていたようですが、

(NEXT WORLD 私たちの未来という番組だと思います)

少し見ただけなのですが、とてもつまらなく感じてしまいました。

テクノロジーだけが発展した世界とは、こうもつまらないものかと。

こうした番組以外にも似たようなビジョンは色々あるのでしょうが、

現代の金融資本主義社会・自由主義経済・グローバル経済下にある人間を

基本的な存在と前提して思い描かれているため、

その人たちの欲望や願望に沿って話がつくられているため、

僕は一切魅力を感じません。

 

人間が世界に誕生してから10万年と言いますが、

人間の存在は現代の僕たちのような考え方の存在が当たり前であったわけではありません。

むしろ極めて珍しい感受性を持っている時代だと思っています。

 

中沢新一さんがどこかで言っていたように記憶していますが、

20世紀においてあった3つの思想、自由主義経済・マルクス主義・独裁制のうち

2つの力が失われて、残った自由主義経済が世界中を席巻して今に至ります。

 

中沢新一さんは今のグローバリズムの原則であり、

近代建築の原則と同じものとして以下のように話されています。

欲望する個人が出発点である。

経済活動の外部性、すなわち自然のことは無視する。

生産は瞬間的に行われる。

(『建築の大転換』P144 伊東豊雄・中沢新一)

 

上記の未来世界に描かれているビジョンというのは、

こうした人間が抱く世界そのものであり、

こうした世界がそもそも「未来」として訪れることはないと思っています。

 

では何が未来を語りうるのか?

「自然」が大きなキーワードとなると思っています。

その言葉自体はあまりにも曖昧すぎるかもしれませんが、

地球環境保護とか、そういう視点でもありません。

 

言えば「自然は人間を超越している」という畏敬の念と、

「人間は自然と折り合いをつけて生きている」という共存の歴史でしょうか。

 

僕もまた十分に科学技術テクノロジーの恩恵を受けて生きています。

全く十分すぎるといえるぐらいに。

ですが、こればかりがさらに発展することへの未来は

どう考えても「おかしい」という予感があります。

 

もちろん未来において、

僕たちが今現在得ているテクノロジーの役割や価値を無きものとして

自然一辺倒に考えることもまた違います。

 

例えば製造革命としての3Dプリンターと

設計図としてのモノのデザインのオープンソース化が接近することなどは

非常に興味深い傾向だと思います。

(3Dプリンターは何を素材とできるか、また処分できるかという問題がありますが)

 

僕たちが恩恵を受けた科学技術テクノロジーを継承しつつ、

自然への畏敬の念という両者が結びつく、

僕はそうした未来をぼんやりと思い描いてこの活動をゆっくり進めたいと思っています。