思っていることへ降りていく

毎週末楽しみにしているものに、服部みれいさんのメルマガがあるんですが、

先週のお悩み相談コーナーの中に、

思っていることということを一致させる

という言葉がありました。

 

とってもシンプルで大切なことだと思うのですが、

この言葉を思い出した時、昨日引用した江藤淳さんの話の箇所

『自分の存在の「根」の部分から滋養を汲み出して繁殖する言葉』

という言葉も思い出しまして。

 

僕たちが自分の心にある「思っていること」へと降りて行き、

明確に掴まえられた表現の言葉というものは、

『「根」の部分から滋養を汲み出して繁殖する言葉』と同じくらいの正しさ、

というとちょっと道徳的で固いですが、「力」を持つのかもしれないなぁと思いました。

 

 

だけどここで「思っていること」へと降りいく、という深さそのものが、

一個人の胸の内という射程なので、

江藤淳さんの話の箇所(戦後文学が抱える言語空間に対して)の深さとは射程が違うから、

あえて言うなら「力」ではなくて「純度」の方が相応しいかもしれませんね。

 

ちょっと思い出した言葉同士を合わせてみた、たんなるこじつけ程度の話ですが、

“自分の心”にある「思っていること」へと降りて行くということが、

僕自身でもそうなんですが、なにか当たり前のようになっていて、

逆に言えばそれほど「自分の心」の話しかしなくなっている…?という気も、

今書きながら思いました。