思う×想う

世界は今この現在、現実、そのままで文句の付けようもなく、完全なんじゃないか?
過去も未来も何もかも。
この時の、現在という、現実という、在り方そのものすべてで、OKなんじゃないか?
時にこう思う。
全てに価値があるのか、意味があるのか、無価値、無意味なのか、どっちでもいいし、どっちでもある。
でもこんなもの、なんでもない。ただ昼寝するにはちょうどいい。なんでもいいや、って眠るにはね。
ニーチェの永劫回帰ってものを読んで影響うけたんだろうな、そんなイメージ描いたりして。
だって「一切は永劫に回帰する」なんだから。。新しいものも古いものもなにもない。ある、ってことだけだ。それもなに大したものじゃない。だってそれはすでに何回、何十回、いや回数ですら計れないほどに繰り返しているものなのだって。全てです。こうしていること、その環境、空気、匂い、出来事、感覚、なにもかも一切。
目的意識やら意欲やら存在意義やら意味やら、ちっぽけになって、自分の存在も薄らいで。それでも立ち尽くす何があるか?永劫回帰っていう思想はそれを見いだす「行」のようなものかも。
結局僕は何も知らず、知ったつもりでいい気になって、自分の弱いところ誤魔化すためにいろんな思想やら考えを都合のいいよう使ってたな。臆病で、見栄っ張りで、お調子者な。お調子者はいいか。
誤魔化しちゃいけないってことですね。
等身大ってむつかしい。見栄張って生きてもいたいが力抜いて旅にも出たい。
良くも悪くもあったものか。僕は僕です。まだ固いよね。