これからの世界をぼんやり思う
これからの世界では、「人が何故生きているのか」「生きてるって何なんだろう」っといった根本的、根元的な問いに対して、それぞれの意見を持っていることがとても大切になる、そんなこと思った。
いずれくる高齢化社会になったとき、今の日本の経済力は衰える、っていうのは誰でも理解してる。僕はそれでそののち日本がどんどん経済力が落ちていっても、別にいいと思ってる。戦後のように経済力ばかりで国の人たちの在り方をはかるのはこりごり。
社会全体が経済レベルで人間を欲望・消費者として扱っていたレベルから脱し、生や死についての思想的な世界観がどんどん問われる土壌が生み出すことになるんじゃないかと思ったりする。
今世界の先進国でも高齢化はどんどん進んでいると聞く。それは人類が今まで経験したことのない事態だそうだ。確かに。今現在発展途上国といわれる国々が、やがて経済力をつけ、経済的に豊かになるのを横目でうらやましそうに見るようなことは、今以上になくなれ、と思う(自分の中にも)。地球の環境問題、資源、食料問題、、、様々な問題が切迫してくる時代になる中、自らの利益を最大優先した商業主義で他の国々が発展していけば大変になるんじゃないだろうかと思う。
経済はどこかでこのスピードを弱めるか、このスピードをさらに先鋭化し、象徴化して範囲を狭めて様態を変えるか(闘争がスポーツになるように?)舞台を宇宙に広げることに成功するか、いずれかか??
高齢化社会は、沈思・黙考の時代になるんじゃないか?
人間が生きていくのに大切なものは何か、これがもっともっと真剣に社会のあらゆる場所から提案されてゆくように思う。
そんなこと、帰りの電車の中で居眠りしながら思った。