怒り、罪の意識
自分の奥底にある「怒り」のエネルギーを自覚する。発作的なまでの感情の爆発が、キレたいと叫ぶ。それは頭の中で、感情が爆発しそうな場面を想像することだけで簡単に湧き上ってくる。じっとその怒りのエネルギーを見ていると、赤く、黒く、濁って上半身から腕の方、そして頭の方へとぞわっと波立つように駆け巡る。
夢で些細なゲームの中、何気ない自分の回答をいじくる相手からトマトを投げられ、それに対して自分が突然怒って、「なんでお前にトマトなげられなあかんねん」、と相手の顔を何気なく掴もうとしたその手の指で相手の目を刺してしまい、やばいと思ってさっと手を引っ込むが、「見えへん」という相手の言葉でドキッとして目が覚める。
自分の感情が爆発した時は、自分の意図を超えて相手を傷つけることになるということに無意識に怯え、そして自分の感情を出しすぎないように抑えつけることが、もしかしたら自分の内面に続いている長い歴史なのかもしれない。自分を自由に表現したり好き勝手にやったら、自分の意図を超えて、想像もしないところで誰かを傷つけてしまうからと、自由を許可しきれないところがある、という罪の意識の存在にこの今朝の夢で気付いた。
そう言えば小学生の頃か、定規を使って女の子の手を傷つけてしまったことがあった。その子はクラスでいじめられがちな女の子で、僕は強がってその子にちょっかいだし、何かの拍子に定規をつい力強く振ってしまって傷つけさせてしまった。その夜父親に連れられてその子の家に謝りに行って泣いた。小学生の頃とは言え、傷つけた側の記憶というのはなんとも曖昧なものだ。なぜ傷つけようとしたのか、その前後が抜け落ちている。それだけにその時の雰囲気やノリといったものだけだったのだろう。それに思い出して書こうとしても、どこかに自己保身のような逃げの配慮が出て来る始末。そうした子にちょっかいを出していたという浅ましく卑怯な姿を思い出したくもないということもある。
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