「限りなく少なく」豊かに生きる から

「限りなく少なく」豊かに生きる から

「限りなく少なく」豊かに生きる ドミニック・ローホーを読みました。

この本の6章、「人間関係」を少なく、ゆるやかに とある中に、気になる箇所が幾つかありましたので、書き記しておきたいと思います。

 

対立の原因をはらむさまざなま問題に首を突っ込み、要求されるがままに多すぎる要望、多すぎる企画に身を投じ、何ごとにおいてもすべての人を助けたいと願うこと、これはわれわれの時代の暴力に敗北することである。
テオドール・モノ、フランスの博物学者・探検家(P104)

フランスの物理学者、哲学者であるマルク・アレヴィは「社会的動物」(Social animal)としての人間について、「これは今日では不要な神話である」と語っています。この言葉は、相互扶助が必要で、人間の生活が不安定な時代に作られたものだと言っているのです。

アレヴィによれば、ミニマリスト(最小限主義者)は「社会的」ではないのです。弱者のみが他者を必要とし、自分たちの弱さを数で取り繕うために群れをなし、その人たちはやむなく団結するのだ、と。強者にいたっては必要なものは自ら満たすことができるので、他者の助けなどいらず、約束ごと、告白、誓約、恋愛感情も最小限にとどめながら、他者にかかわることなく自らの生活を営むのだ、とも述べています。
つまり人間関係においても、ミニマリストは、「過剰」や「雑多」を排除していきます。可能な限り社会的なものから逃れ、自分の個性を育み、「孤独」を用心深く守るのです。(P106)

また、何でも「みんなで一緒に」しようとする代わりに、私たちは自立、それも自分らしくあることを優先するべきです。もちろん、友情や団結を否定しているわけではありません。それが自ら選択し、無償でするのであれば進んで行うべきです。(P108)

共同体、コミュニティ、または地域という特定の小集団の中での暮らしや生活というものを未来の姿の一つとして考えている僕にとって、こうした考え方はとてもヨーロッパ的で、個人主義が徹底されている文化の素地があってこそ語られるものかもしれない、と思うと同時に、どうしても強く惹かれます。

「孤独」をどう捉えて未来に活かすのか、これも大きなテーマだと思えてきました。

 

他者に対しあまり執着しないこと、これは「無関心」とは異なります。
他者との関係を「ゆるめ」ましょう。それは、相手との関係をあるがままにしておくことを言います。いちいち評価したり、批判したり、相手の行為を認めたりというような干渉をする必要を感じないでいること。(P112)

自分と他者との距離のとり方はいつの時代でも大きな問題です。そしてそれは「他人をコントロールしようとしない」という他者への礼儀や尊重から始まって欲しいと思います。

 

そして所有について語られる引用がありました。これは「ユートピアだより」で描かれている未来世界ととても近しいと思えます。

この「私と私のもの」が、一切の不幸をつくり出すのです。
所有感といっしょに、利己心がやって来ます。
そして利己心が不幸をもって来るのです。
あらゆる利己的な行為または利己的な思いは、われわれを何ものかに執着させ、たちまちわれわれは奴隷にされていしまいます。
「私と私のもの」と言う、チッタの一つ一つの波が直ちにわれわれのまわりに鎖をまきつけ、われわれを奴隷にしてしまうのです。
そしてわれわれが「私と私のもの」と言えば言うほど奴隷状態はひどくなり、不幸も大きくなります。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、インドの宗教者
『カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ』(日本ヴェーダーンタ協会)(P150)

 

このように、所有すること、私有することには、僕たちにとって「所有」の問題として直接未来の世界像につながる大きな問題だと思えるのです。

「私有すること」は資本主義世界や経済世界の価値観があってこそのもので、それと同時に人間像がますます小さくなっていったといいますか。今は人間はなによりも私有を前提とした消費者としてしか人間が語られなくなってしまった、というような感じもあります。