宮崎駿さんのイラストにあるプライバシーの話

虫眼とアニ眼」の巻頭に掲載されている宮崎駿さんのイラストの中に「某ジブリプロデューサー」の「プライバシー(はあとまわし)(暴)論」が載っている。(鈴木敏夫さんのことだろうかな?)

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まず火をかこんで一家があつまること。たっぷりそれを体験することが家族の核になるのだと思う。そして堪能して子供たちは出かけていくのだ。

カラスの子を、バラバラにせまいところへつめこんでバーチャル商品を与えてちゃんと育つはずがない。

プライバシーは「孤独」とはどう違うんだろうか?

プライバシーとは、

人間が独立した自律的人格として存在するために、一定の私的領域確保が必要不可欠であること(wiki

wikiにはこの概要以外にも「私生活上の事柄をみだりに公開されない法的な保障と権利」という記述があるように、プライバシーの問題は、権利に関する問題として語られることが多いようだ。それに、名誉毀損や侮辱に関するマスコミなどの問題から発生してきた経緯もみられる。

また、古典的プライバシー権としてある、「そっとしておいてもらう権利」(The right to be let alone)という記述が興味をひく。

たしかにこのイラストで使われているプライバシーは、「一人でほっておいてくれる権利」のように見える。それが拒否されると「孤独」はどうやって保たれるだろうか?

孤独は、

他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。(wiki

「そっとしておいてもらう」というように、周囲との関係の間に特定の状態をつくりだす権利として語られるプライバシーとは違い、孤独とは「存在状態」のようなもの。

「孤独は人のふるさとだ」という坂口安吾の言のように、孤独が人間の存在そのものに位置しているのであれば、「そっとしておいてもらえない」関係の中にあっても、ちゃんと孤独はあるのだから心配しなくていい、ということだ。