勝ち組・負け組?

時々聞く言葉だが、新しい差別用語なんじゃないだろうか?って思う。
それは自分がその価値観から見られれば、負け組として分けられるからっていうこともあるかもしれない。だがこの言葉を使う人たちの価値観に共感できない場合がある。彼らはいとも簡単に年収でそれを判断したりする。
テレビで誰だか知らないが、年収300百万円ほどの生活をする人々をはなから負け組として論じていたのには腹が立った。
収入というものが、人がどう生きたかの内容を如実に反映できる鏡なのだろうか?
人間の生き方に勝ちも負けもあるものかって思いたい。
あったとしてもそれは自分自身に対してしか言えない。まして他人の人生、生き方に対して決して言えるものではないはずだ。自分の人生をしっかり行きようとしている人ほど本当は謙虚に違いないと思う。
単に価値観の違いでしかないのだろう。
だけど価値観の違いは感情的で強力になると、相手を同じ人間として思えなくなってゆくことにもなる。それが差別という感情だろう。
僕はこのような言葉を平気で使う人たちをつい毛嫌いしてしまうが、そんな僕もそういった価値観。どっちが真実などではまったくないし、人にどうだ、そうだというつもりもない。
しかしこの「価値観の違い」がある人たちとどう関わるか、それが人の社会性っていうものかもしれない。
この僕の姿勢ではまだまだ未熟だろうかなあ。