#026: MCPから人間の発達段階を思う
『未来の世界を想像するチャンネル』仕事のほうで 「MCP」 という単語を聞いて、
それを少し調べて気づいたところを、今日は話にしようかなと思います。
この 「MCP」 という言葉って何か、というところから入るんですけど。
いわゆるこれは、AI モデルに関連した世界のお話の言葉です。
今、ChatGPT とかGeminiとか Claude とか、
いろいろ AI がブームというか、よく話題に出たりしますけど。
この AI のモデルが、いわばそういった、そのモデルと外部のサービス。
例えば天気とか物流のところとか、交通機関とか。
そういったことのデータベースとかの API。
そういったサービスのところとつながって、より良いサービスを提供できる。
その異なるサービスと AI モデルがくっつくときに、どういうルールでくっついていくか。共通の言語みたいなところを作りましょう。そういうふうなことを定めましょう。
それが 「MCP」 という規格、ルール。
そういったお話のようです。
MPCとは
「Model Context Protocol(モデル・コンテキスト・プロトコル:MCP)」 とは、端的に表現すると、AI がシステムにアクセスする時の「接続のしかた」をルール化したもの。
https://qiita.com/to3izo/items/99dd3cde237c2e5a007f
規格争いとオープンソース
ここから何が今日の未来の話につながるのか、というところなんですが。
少し調べてみると「こういった規格を誰が取るか」っていう話っていうのは、
よくこれまでも、こういった技術の革新的なときに、
いろいろ論争になったり、問題になっていたような。グローバル化の世界において、よくある話のようですね。
例えば、 VHS と β(ベータ) であるとか、Windows と Mac であるとか、Android と iOS であるとかね。
あと USB とか Wi-Fi の規格とか。
そういったいろんなものが技術が出てきたときに、
どの規格、どのルールを定めて、それによって使っていきましょうか、
というふうに定めていくことがひとつ大きなものになる、というふうな話でした。
で、ここから少し見ると、こういった規格を定めるというところに、
AI モデルを提供している企業が絡んでますよね。
で、今有名になっているものって、すべてアメリカ発だったりもします。
そういったひとつの国が主導権を持って、
「私たちのこれに基づいてルールを定めましょう」というときって、
結構そのパワーゲームになることが常ですよね。
例えばそれによって、他の規格や優れた技術があっても、
それによってできなくなっていくようなことも起こってくるでしょうし
それ以上に、もちろん規格によって恩恵を受けることもあるだろうけども。
少なくとも、こういった規格が関わってくるものって、
パワーゲームになって、誰が規格を取った主導者になるか、というか。
勝者になるか、そういうふうな話になってくるのかな、と思ったりします。
それと合わせて、このコンピューターというか IT というか、
その世界において、もう一つ考え方としてあるなと思ったのが、
オープンソースという考え方ですよね。
オープンソースっていうのは、
そういった AI モデルが企業が持っているように、クローズド。
その企業にしか持たない、守秘、守られた情報になっているものではなく、
誰もがその中、中身をすべて見れて、
誰もが自由に使ってもいいんですよ、と。
オープンにしている情報。
それがオープンソースっていうものの文化だと、僕は理解しているんですが。
それによって、いろんなイノベーションとか、
それを使うことによってもっといろんなやり方があって、
もっといろんな開発もできて、みんなで共有していこう、というふうな。
文化ややり方っていうのがひとつある。
オープンソース (open source) とは、ソフトウェアのソースコードを一般公開し、自由な使用、改良、配布を許可する開発モデルです。元々はオープンソースソフトウェア (OSS) を指す言葉でした。オープンソース・ソフトウェアは、誰でもアクセスできるように設計されたコードで、誰もが好きなように表示、変更、配布することができます。
https://www.redhat.com/ja/topics/open-source/what-is-open-source
そういったものと、今は(アメリカの)特定の企業が力を持って、
ルールを作っていこう、というふうな動きもある。
こういったパワーゲームとか、誰が企業の勝者になるかっていうところって、
考えていったときに、僕の中で思ったのは、
このチャンネルの中でもよく話が出ているんですけど
自我の発達段階っていうところのモデル、「スパイラル・ダイナミクス」
そのスパイラル・ダイナミクスにおいて、
こういったものの捉え方や価値観、世界っていうのは、
どの段階に値するのかな、表現されているのかな、
というふうなところを見ていくと
全体のあり方というか、今の人間のあり方っていうのも、
また違う形で見えるのかなと思ったりもしました。
スパイラル・ダイナミクスでパワーゲームのあり方もみる
スパイラル・ダイナミクスって、簡単に言うと、自我の発達段階って言われているもので。
発達心理学がベースになっているモデルなんですが。
大きく分けて第 1 層、第 2 層に分かれていて、
その第 1 層と第 2 層合わせて、8 から 9 層ぐらいの段階になっている。
で、一番下のほうになると、まず自分の生存を守るのに
最も大切な「ベージュ」という層があって。
そこから 1、2、3、4、5、6 までが第 1 層になっている。
で、第 2 層になると、第 1 層とはまた全然レベルが、
少し色が変わってきて、全体の中に通して、
それぞれの段階のあり方っていうのが見えるようになってくる。
で、今のこの、企業がパワーバランスとか、パワーゲーム
誰が勝者になるかっていうふうなところの戦いって、
このあたりの段階なのかな、っていうところの記述が、
この『インテグラル心理学』っていう本の中に書いているので、
そこをちょっと紹介しようかなと思います。
それはオレンジっていう、5 番目の段階ですね。(オレンジの階層に該当する成長段階の色が濃い場合このようなものの見方の傾向がある、というぐらいのニュアンスで理解ください)
世界の仕組みを学ぶことや、世界を自在に使いこなすことは可能であり、世界を巧みに操作することで、自分たちの目的を実現することができる。達成主義的な傾向が強く、特に(アメリカでは)、物質的な利益を追求する傾向にある。政治も、経済も、人間社会の諸々の出来事も、科学の諸法則によって規定されている。世界とはチェス盤のようなものであり、ゲームに勝利したものは、敗北したものよりも高い地位と、特別な報酬を得ることができる。市場において提携関係を結ぶ。地球の資源を巧みに利用し、戦略的に利益を獲得する。
(P152-153, 『インテグラル心理学』日本能率協会マネジメントセンター)
こういった説明が書かれているのが、
このスパイラル・ダイナミクスの 8 から 9 層による、
5番目の層にあたる「オレンジ」というところですね。
これより下は「ブルー」という層であったり、「レッド」という層であったり。
また、このオレンジの一つ上の段階に至ると、「グリーン」という層になり。
(グリーンでは)価値の共同体とか、人間の精神から強欲さ、独断的な考え、
そういった分断された状態から解放されなければならなくなっていく。
大事なのは冷たい合理性ではなくて、気持ちとかケア、気遣い。
そういったもの、生命を大切にするような価値観というものが、
必要になってくる、というところは、次の 6 のグリーンというところですね。
なので、オープンソースに関して言えば、
こういった共同体的主義・価値観みたいなところが、
少し入ってくるのかなと思ったりします。
人間の可能性と 200 年後の世界観
一方、AI の企業が独占して、自分たちのルールを定めていこうという動きというのは、
どちらかといえばオレンジに、すごい近いのかな、という感じがします。
これは何も、その段階が上とか下とか、という話ではなく、
大変、こういったモデルの扱い方においては難しいんだけれども、
それぞれの段階において意味がある、というふうに捉えていく。
一つ一つの段階をしっかりと成熟させた上に、
次の層になっていく、ということになっていくので。
いわば、こういったオレンジの層が充実された上に、
初めてこのグリーンの層が、段階が出てくるというふうに。
今、僕らはまさにこのグリーンを
成熟させようとする時代にいるのかもしれないな、と思ったりもします。
人間というのは、このスパイラル・ダイナミクスの理論で言えば、
まだまだ可能性はどんどん秘めているわけですよね。
グリーンのその上には第 2 層があって、イエローやターコイズといった、
それぞれ層もありますし。
そういったもの(層)は統合的に見ていくもの
よりホリスティックな、全体を見ていく段階とか、
そういったものも出てくる。
こういったものの見え方、価値観や捉え方というものも、
成熟度合いによってはまだまだ達成できる、というふうに考えると、
人間はまだまだ発達できる余地も残している存在、というのも言えるし、
それは社会においても言えるのかなと思ったりします。
そうしたときに、僕がイメージする 200 年後の世界というのは、
今のようなオレンジが主体のよりも、グリーンもさらに超えて、
イエローやターコイズ、
ホリスティックな段階で、地球や自然や世界を見ていく。
それによって人間の役割というものが、どういうふうに与えられたものであり、
私たちとしてはそこにおいて何が相応しいか、というものを真摯に向き合える。
そこで仕事をしていける。
そういった成熟したようなイメージがあるといいな、
というふうに感じたりもします。