#025: 交通インフラや社会保障

『未来の世界を想像するチャンネル』では、ここ数日続けてお話ししている、
「地域社会圏主義」っていう本の中から
これまでも、そのテーマのほう、10個ほど書かれているんですけども、
4つほどかな、ちょっと紹介のほうさせていただきました。
今日はその続きにしようかなと思います。

まず書かれているのは、交通インフラのところですね。

交通インフラは「一住宅=一家族」を前提にしている。公共交通か自家用車である。地域社会圏ではその中間的な交通インフラを持つ。(P007,『地域社会圏主義』INAX出版 以下同)

この地域社会圏のあり方は、そこでは数百人が一つの住宅の中に大きく暮らしていて、
一つのコミュニティとして成り立っている、そんなイメージではあるんですが、
その中で言えば、中間的な交通インフラが使われて、
人の移動や物の移動が行われている、というところですね。

「一住宅=一家族」という既存の、家に関するあり方だと、確かにやっぱり、
物流とか人の移動においては、どうしても何かしら交通機関、公共の交通機関、
もしくは自家用車、そのどっちかに頼らざるを得ない、というのは、
すごい、なんか納得しますよね。

もちろん、あと小さいね、自転車とかもあるんだけども。
いわば、こういったモビリティというか、物や人が動くときに、
どのような道具によって成立しているか。

今だったら、バスとかタクシーとか自家用車とか、
こういった車の社会にはなっているし、
それが前提に街の風景も、道路、あらゆる道路の交通法も、全部整えられている社会なので。
物流もそれが前提ですよね。

それがなくなった社会って、ちょっとイメージできないですよね。
なかなかね。

でも、まあ、イメージするとしたら、
僕がもう 200年後の未来の世界の、そういった物流とか、
モビリティのあり方って、ここまでその物流が優先的に、
ベースになっているような世界ではないなぁ、と、思ったりします。

今これだけ物流が多く当たり前になって、
ネットで頼んだものが次の日や 2、3日で来るような、
そんなあり方にもなったりはしているけども、
果たしてこれが本当に、人間にとって、社会にとって、
地球にとって、自然にとって、相応しいあり方なんだろうか、っていうものは、
まだまだ考える余地はあるのかなと思ったりします。

そもそもそれだけの多くの物質に、どこまで人は頼っていくのかどうか、
というところもありますよね。

同時に、こういったモビリティとか物流を考えていくときには、
そういったものが何にせよ、それを設計し、そのメンテナンスを行い、
故障が起こったら修理したりするし、足りない分は、またその部品を交換したり。

そういったものも知識であったり、
いわば、そこを支える技術や知識や文化っていうものは、
どうしても必要になってくる。

こういったことを無視しながら、ぼんやりとイメージするだけの世界っていうものは、
まだちょっと解像度が低いかなと思うので、
そこをね、少しずつでも深めて、イメージしたいなと思ったりはしています。

まあ、基本的には車、車輪というものを用いているので、
全然いいかなと思うんだけども。
ファンタジーみたいな形で、空を飛ぶものとか入れてもいいんだけども…

そうしたときに、自分たちの今、僕らがどこまでそれを本当の未来として、
イメージできるかどうか、っていうものが、結構鍵なのかなぁと。

ワクワクして楽しい、っていうのもありなんだけど、
じゃあ空を飛ぶ乗り物があったとして、それはどういうふうに
ルールとして守られて運用されているかとか。

それにはどういう技術やエネルギーが使われているのかとか、
それはだいたいどれぐらいの人が使われるものになっているのかとか。

ただ単に今の車っていうものが、空飛ぶだけに置き換えるだけだったら、
全く意味がないというか、むしろ邪魔、と僕は思うので。
それは全く未来じゃないなと思ったりしますね。

「一住宅=一家族」の自助努力を前提として介護保険、健康保険、年金制度のような社会保障制度は組み立てられている。ところが「一住宅=一家族」の崩壊とともに莫大な社会保障費がかかるようになってしまった。「地域社会圏」ではそれを補うような全体の相互扶助を考える。(P008 同)

やっぱ、こういった社会保障制度を、
未来でどう設計するか、というところにはなるのかな。

ここで地域社会圏ではそれを補うようにやろうとしてるけど、
それはそもそも、政府の仕事のような気もするし、
住宅でそこまで頑張ってデザインしなくてもいいのかな、と。

一方で、やっぱりそういったコミュニティであったり、
複数の人々、家族という枠を超えた複数の人間、
多くの人間たちが住む場所、というふうになってくると、
いろんな年代の人がいるわけだし、
その人たちにとってそれぞれ必要なサポートっていうのが、また必要になってくるし。

もちろんそれが、正常に運営されている、運用されている、
ということになってくるので。

で、僕が考えたりイメージする未来には、
少なくとも人が、どんな人間であっても、どんな世代であっても、当たり前のように、
その人が生存していること、生存するために必要なもの。

住む場所、洋服、食事。あとは寝る場所だよね。

で、そして、もちろん一人でリラックスできる場所とか、
それで人と交流すること。

こういうことに対して、お金が発生しないぐらいに、
ちゃんとすべて賄われている、担保されている。

で、それに対して誰も引け目を持たないし、
それを受け取るのは当たり前だと、みんな思えている。

一人一人が自分の命に対して安心・安全を、
ちゃんと思っている、感じられている世界っていうものが、
まずは人間としてのあり方として、一つとても大切なところだと思います。

僕はこの 200年後の世界のイメージの中にある、
人間が世界において、動物や植物、そういったもののための、
要はバランサーの役割を果たすことが、
次の新しい人間においては、ありうる役割なのかなと思ったりはするんだけども。

もちろんでも、その前に、そうとは言っても、やっぱり人間、自分自身が、
しっかりと安心であり、安全に自分の命が守られて、
しっかり尊重されているってことは、もう大前提。

それがないと、その次のことはできないと思うので。

そういった意味では、どんな命であっても、どんな年齢であっても、
しっかりとその人が生きていることに対してサポートされているってことが、
当たり前のように、大前提かなと思ったりはします。