DADA10 Aoyama Dancing Festival2009

今働いているところのビルに入っているスターバックスに毎日行く。
そこで知り合った店員さんが、この舞台に出演するとのことで見に行った。
それに最近身体表現について興味が出てきている。先月見た「Night Stand」、少し前にCI(コンタクト・インプロビゼーション)について聞いたときに覚えた興味、YouTubeで見たTrisha Brown の”Early Works”…。先日行ったオープニングでは南阿豆という方のダンスにも興味を覚えた。身体表現は空間と時間を異化させる、その変容が面白い。
この舞台ではクラシックバレエからコンテンポラリーダンスまで幅広い、多様多彩な演目が10、一つの演目はおよそ10~20分程度という内容。5番目と6番目の間に休憩が15分あるが、それ以外の演目同士の合間がほんと短く、終わったと思ったら次の演目が始まるというようなペース。
全体の演目の質も高く、見応えがありました。終わってみれば3時間近かったものの、そんな感じには思えなかった。
時間の感覚が長く感じるか短く感じるかは自分の大事なところなので、素直によかったと思う。
普段ダンスと関わりがなく、あまり見た経験もない自分のような者の場合、初めのとっかかりにはこうしたいいとこどりのオムニバス形式でいろいろなものを見てみるのもいいものだ。(お腹いっぱいになるけど)
そこでもう少し見たいとか気になった演目、演者の舞台は覚えておいて機会があれば次回見に行ってみたい。
少なくともこうした機会でなくては、クラシックバレエは一人では見に行かないだろうな(笑)。
1番目のConcert in Dはクラシックバレエ!ああ、こういう世界もあるんだよな。でもこういう機会じゃないと絶対見れないだろうからじっくり見てみようと見ていた。
こうした踊りは一つの「美」という価値基準がじつにはっきりしている。どう動くことが美しいかが明快でそこには基準値、ベースがしっかりしている。美しさの価値判断も他のものに比べて明快だけでなく、その価値判断自身が歴史を持っている。そうした動きが美しいのだという価値観―感情が継承されてきたのだ。それが持続されてきたことに興味を持つ。
なぜこれが「美しい」と思える価値観が残ってきたのか?
そこで人は何を見て感じているのか?
きっと基本的なことは「大きさ」だ。大きく見せること。小さな動き、収縮する動きはそれ自体では判断されないくらい、大きく見せる。腕をのばし、足をあげ、手を広げ、背筋を伸ばす。顔をあげる。
大きく見せることが美しいとする価値基準は、孔雀の羽を広げる様のように求愛行動なのか、それとも動物が威嚇するように自分の姿を大きく見せようとすることなのか、どうしたことに起源を持つのだろうか。そしてこうした大きく見せるということの必要のために、ダンサーの肉体条件が厳しくなる。手足の長さ、背の高さ、首の長さ…長さがあればその分だけ大きな動きを作れる。
そこで日本人がクラシックバレエを踊ることの難しさが見えてくる。胴長短足、重心が腹にある日本人にはクラシックバレエで必要とされる大きさを追求すべきなのかどうか…?
そこできっと自分たちの身体条件に立ち返って表れたのが現代舞踊だったりするのだろう。
コンテンポラリーダンスでは、そうしたクラシックではNGとされているような動き、収縮すること、縮こまる、曲げる、音を立てるがむしろ特性をもって表れている。
2番目の「懐抱」(振付:赤尾仁紀)という明るく純粋な舞台で表現された動きはクラシックダンサーではできない動きが多い。
そして8番目の「今日のヒュル」で出演するダンサーはホント普通の日本人。まさに「胴長短足、重心が腹にある」人たちだ。
でもこの舞台はその肉体条件をマイナスではなくプラス要素として見せてくれる。そこにあったのはリズミカルな動きと音と声に合わせた動き、そしてスピードと一体感。
こうした違いを比べてみると、現代サッカーにも通じる気がしてきた…
今の日本代表のサッカーは数的有利を作ること。そのために走る。連動性やパスワークが必要になる。1対1では勝てないからだ。技術や肉体では欧米に勝負できないからだ。日本人の特性である俊敏性を生かして、有利な状況を作り続けること―そこにあるのは前提として一般的な選手の肉体にあった共通的なスタイルの追求。ダンスが肉体を基盤に行為する表現活動である以上、そうした共通項目が見えるのも当たり前かもしれない。
こうした自分たちの共通項目の肉体条件から始まると考えると、つぎに興味が出てくるのが、そうした条件を基盤に肉体と美を開発し続けてきた伝統舞踊や武術(武術の強さ=美しさとすれば)。以前能の舞台を見に行ったことがあるが、そのあまりにもスローな時間感覚についていけず、その時は半分眠かった…。もう一回トライしてみようかなと。
このDADA10で特に好きだったのが4番目、加賀谷香さんが振付の舞台「Blue tale」。演劇的要素が入ったコンテンポラリーダンスのこの舞台は、短い時間の中に明確な演出と舞台効果によって、とても完成度が高く感じられた。そこにはドロドロとしたものをなんとか掬いあげて昇華させようとする意志、感情が舞台から感じられた。もっとこの人の舞台を見たいなと素直に思う。
このFestivalで出てくる中でも有名な人なのだろう、クラシックダンサー西島千博の舞台「ロミオとジュリエットより パ・ド・ドゥ」は少女漫画的場面選択と演出ながらも、人間の感情―ここでは恋愛感情―の高まりが一気に花開くさまをクラシックバレエで見事に表現していることの素晴らしさはすごかった。
最後にこの舞台で友人の小澤さんが出演した舞台「scab」は総勢30名近くの出演者という壮大な舞台。しかもその舞台上の演出にはほとんど無駄がなく、全体が常に緊張に満ちていて、演出の構成力の高い舞台だった。これが10数分の短い舞台であったことが悔やまれる。
次はもうすこし長い舞台をやるそうで、ぜひ次も見に行きたい。