ある閑話
なんだか最近は私が私ではないように思うのです。
その私とは何なのか、どれが私と私が言えるのかわかりませんが、
ひょっとしたらこれが私と言える何かもあるのかもしれませが、
ですけれどどうしてでしょう、
自分の中に他人がいるように、
そうですねえ、
とくに言うこと書くこと、
なんだか私が本当に思っていることを書いているような気がしないのです。
まるでどこかで見たこと、読んだこと、それらばかりをなぞっている気がするのです。
もちろん完全なオリジナルなどないということはわかります。
ええ、それはきっとそうなんでしょう。
それとこれとは話が違うのです。
私の言っていることはモノのことではなくて、気持ちのほうなのです。
いえ、気持ちというより、感情、思考、
そうしたものがまるで自分の気がしないのです。
自分の肉体を通しておこなったことだからと言って
それですべてがその人個人のものというわけでもございませんでしょう?
もちろん全てではないんです。
時々私がなにかをやろうと、思って始めるとよくそういうことが起こるのです。
やけに他人じみているのが後から分かると、
いったい私とは何なんでしょうと
ばかばかしくなる想いなのです。
そうです、反省なんてしているわけではなくて、
ばかばかしいんです。それが恥ずかしいんです。
理由も分かっているんです。
甘えているだけなんです。
それもやろうとする時に先に構えを作ろうとするからなのです。
構えが必要な人は甘えた人ではなくって?
なぜならその構えで相手に通用すると思っているのですもの。
構えることで事がうまく運ぶと思っているのですもの。
見栄が過ぎる、私に自信がないゆえとも言えますね。
ですが結局理由などどうってことはないのです。
私はそういう人ですから。
開き直っているんじゃありません。
立ち直っているんです。
私はそういう人、
ここが始まりであればこそ、
この私を超えることができるのではないでしょうか。