自分を受け入れるということを書いて
「昨日ブログに書いとったやつ、えらいなんかスピリチュアルに染まっとるなぁ、お前」
「“自分を受けいれる”ってやつ?」
「そうそう。それとか自分を好きになるとか、わりと最近流行りなんちゃうか、えらい洗脳されとるやないか。」
「洗脳って(笑)」
「洗脳ってんのは本人が自覚しとらんから洗脳言うねん。」
「別にだれにも迷惑かけてへんやろ。“それだけが絶対正しいんです!みなさんも是非!”っていうニュアンスには絶対せんようには気をつけてるんやけどなぁ。」
「まぁ洗脳いうのはちょっと言い過ぎかもしれんけど、そんなようなこと思ったんよ。」
「でもまぁ書いてあることは別に変なことでもないんちゃうんかな。」
「言いたいことはわかるけど、ああして書くっていうのはよっぽどやな、という気もせんでもないで。」
「分かってくれるんやったらええねんけど、一概にスピリチュアルやっとるなーで終わられても寂しいもんがあるわ。まぁ別にお前に勧める気はさらさらないねんけどな。」
「ああして書いてること、“自分を好きになる”ってまぁある意味当たり前やん。だって自分しかおらんねんから。でもそんなことわざわざ書いたり言ったりしてるのって、俺は引くわな。」
「でも俺はそこんところ分からんと、ずーっと自己嫌悪に苛まれてきたからな。もうええわ、ってなったこともあるし、そのあたりの考え方の変化のきっかけには、お前がスピリチュアルとか言う、ああいう本とかにいろいろ教わってはおるよ。だから別に引かんでもええやないか。」
「お前暇やから考えすぎんねん。どうでもええこと。」
「その通り。でもお前は“当たり前のこと”やと思っているわけやから、たぶんみんなどっかしらかで思ってはいるわけなんやな。まぁ生きているいうことが、結局は自分を好きになってることとイコールなんかもしれんなぁ。」
「うーん、野暮ったいなぁ。」
「野暮ったいか(笑)でも分かってることでもあるんやろ。なのに言うたり書いたりすると、なんでお前みたいな反応になるんやろ。」
「恥ずいねん。そんなこと真顔で言うてるお前、アホなんちゃうんか、って。」
「惚れてる女に好き言うようなもんか。」
「惚れてたら言わなあかんやろ、てか言え(笑)」