スピリチュアル的要素
スピリチュアル、と言いますが、
僕はそれを精神世界を示す言葉として用いています。
(一般にはこれに霊的であるとか、宗教的であるとかの意味も含まれているようですね。)
で、僕の中にこうしたスピリチュアル的な要素、考え方は
どれくらいあるのでしょうか。ちょっと書き出してみます。
輪廻転生
→この世界観を受け入れると生きやすいです。人生は一回きり、というのは今の人格、肉体、時代において当てはまると思っていますが、生きていることそのものは繰り返されていると考えています。万が一間違っていても気づきようがありませんし。さらにこうして生きとし生ける物を見るようになると、世界が非常に重層的に見えるようになります。それは不可逆的な認識です(輪廻転生のない世界に戻れなくなる)。
魂の存在
→脳の神経組織や自我意識、DNAだけで生きていることは説明できないと思っています。「僕は生きている、と気づいている存在」は端的にその存在を示していると考えますし、常に『今』しかない存在の、動的な存在そのものも魂を示していると思います。
霊の存在
→これまでにどれだけの生命が地上にいたかを想像すると、目に見えるあらゆるものは霊と折り重なって一体化しているとすら言えるのではと思っています。見える人には見えるように見えるのでしょう。僕はまったく見えませんが。
自然
→自然の存在・力について非常に信頼しています。その信頼は人間の肉体そのもの(治癒・活動すべて)や動植物の生命、存在の尊重につながっています。また病や土地についての認識もこの信頼が土台となり、細分化されたりすることのない全体性として認識するものだと思っています。
宗教
→特定の宗教を信仰してはいませんが、多神教やアニミズム、古代宗教などの死生観などに興味を持っています。一神教に関しては遠目から見守っているぐらいですが、この二千年の時代全般に及ぼしたその影響力は大切だと思います。
人生
→なるようになるというケ・セラ・セラ。なるようにはならない、ということも含めて、すべてなるようになるとしか言えないと思っています。
人生はちょっと違うかもしれませんが、
だいたいこんな感じでしょうか。
一般的にこうした傾向を持つ人たちは
科学的なアプローチに対して嫌悪感があるものですが、
僕も漏れずにそうした傾向をもっています。
「客観的」という存在それ自体が謎であると思っているためですが、
特定の社会状況や環境において、
限定したシナリオであればその証明は十分に示されるため
有効活用される道具であると捉えています。