いろんな見方
もの事には、いろんな見方が成り立つ。
一つだけ、真実というものが、あるということなど露にも思わない。
真実、という力の作用が色々あるだけだ。
さて、どのようなものであっても、人それぞれ、その人から溢れる言葉、価値、というものは、それ自体で尊いもの、たとえ浅はかな、偽り、見栄、憎しみ、等々であっても、個人として好悪の区別はつけるが、存在の是非を問う、なんてことはしていない。
しかし最近、このような全てが相対的に収まってしまう考えは、今の自分にはまだまだかどうか、ともかく、本物ではないように思えてきた。
このように他人のどんな表現であっても「あり」として片づけてしまう、それは受け入れているようで、受け流して、ほんとのところを掴もうしないことじゃないのか、とか。
それはさながら自分のことに対する姿勢の裏返しじゃないか、とか。
答えを見つけたら、そこで終わりじゃあるまいし。
そもそも人それぞれの言葉の背景があるといって、その存在を知って、そのこと自体答えなわけあるまいよ。
思考停止、
楽になると、楽したいと思ってたんだな。
自らを省みることから、始めたい。