http://talkingpointsmemo.com/dc/sandy-hook-shooting-thrusts-preppers-into-spotlight?ref=fpblg

設計図のオープンソースとプレッパー

文明の設計図(参照:広がる設計図のオープンソース)というと、

そうした場面が必要になるのはどういった状況なのだろう?と想像すると

アメリカで、いざという時のために様々な蓄えをしている

プレッパーと言われる人たちの存在が思い出されます。

非常事態に備え、食糧や自衛のための武器・弾薬などを過度に備蓄している人のこと。「備える(prepare)」から生まれた言葉で、2012年現在では米国に最も多く存在し全米で300~400万人にのぼるとみられている。 彼らは政府やマスメディアを信じず、国際資本家を敵とみなす傾向が強い。支配階級の力が及ばないローカルなラジオやインターネット、身近なコミュニティなどを情報源としている。状況によっては隣人をも敵とみなす強固に自立したライフスタイルの実践者であり、暴動や経済崩壊、核戦争、世界の終わりなどを想定している。

https://kotobank.jp/word/プレッパー-190952

 

文明の設計図をオープンソース化すること、

それ自体はプレッパーではありません。

オープンソースとDIYが実現することは、

無理強いするような

現代文明に依存せざるを得ない力から解放されることだと言えます。

 

一方で、もし何かしらかの不測の事態によって

現代文明が壊滅的な状況を迎えてしまい、

プレッパーのような衣食住の道具を備蓄していた人たちや

コミュニティを作り上げる必要に迫られた時、

こうした一時代の道具機器の設計図へ簡単にアクセスできるようになっていると

そこからの回復のスピードは段違いでしょう。

(もちろんそのデータへアクセスするためのデバイスやエネルギーなども必要になりますが)

そうした面も考慮すると、

設計図のオープンソースを

さらに広く推し進めることによって、

ノアの方舟の道具版といったところへ続きそうかも、と想像します。

 

現代はとかく「今の状況はおかしい」「いつか終わりがくる」という

予感めいたものばかりがとどまることなく噴出し続けているにも関わらず、

いつになってもエンディングにならない

焦れた観客のような心境も充満しているように思います。

(僕の中にもこうした心境は多分にあります)

 

エンディングを迎えた時、

僕たちは観客ではなく

その舞台の登場人物であったことを知るのでしょうか。

その時にいたり、果たして知るだけの時間はあるのでしょうか?

 

画像出典:http://talkingpointsmemo.com/dc/sandy-hook-shooting-thrusts-preppers-into-spotlight?ref=fpblg