被害者意識

どこだったか、たしかまたほぼ日だったか。
吉本ばななさんかな、岡本太郎と敏子さんとの関係について、
「お互いに被害者意識のない関係」という言葉を読んだ。
いい言葉。
人間関係、ちょっとしたことで、どちらの側に責任がある、原因があるっていうのはよくいう、働いている会社とか、恋人同士とか家族間だっていろいろあるだろう。
こうしたとき、思うのはだいたいみんな自分を「被害者」だと思っていることだ。
決して「加害者」であるとは思わない。
(おそらく訴訟国家アメリカなんて、みながみな被害者意識を持っていたりするんだろうか、なんて想像してしまう。訴訟、自分が絶対的に被害者であると思わなければできっこないからなぁ。思ってないのにましてや訴訟で勝てるわけもないし。。)そりゃほんとの事件やなんかは話はべつだが。
「被害者意識」っていうのは、この状況、この現実に対して相手にのみ責任をおしつけることだ、いや、そう信じている思考のことだ。「被害者意識」に何が生まれるのだろう?憎しみ?悲しみ?やるせなさ?(やるせなすって最近みないな。。)それがどういった背景をもつものか、その質や度合いによってそこから生まれるものもあるから、いちがいに憎しみや悲しみを否定的にはみたくないな。コンプレックスっていうのはそうした被害者意識に根ざした考え方の一つなのかな?こんなふうに産んだ親が憎い!って。でもそれじゃ自分に対してなにももどってはこないよな。「加害者意識」っていうのは他人から責められることによってよりも自分で自分を責めるタイプの思考かな。「自省」「反省」ってのは「加害者意識」があるからこそ生まれるものでもあったり。でもそんな要素いっぱいあるんだ。
今ここにいること、これ自体を「被害者」似でも「加害者」にでもどうにでもできる。思考タイプが違うことで今後どうしていくかの道も大きく変わっていく。
その現実を捉える目だよね。
僕は物事を「加害者意識」として捉えるほうが強いが、その傾向自体を「被害者」にすることだって簡単だし。
初めは「加害者意識」の方が重要だと思ったりしたんだが、どっちがいいわるい、これこそ「被害者」「加害者」を産む思考の発端だったりしたと気づいた。
先の吉本ばななさん、だかのその文章、被害者意識のないキーは、尊敬し合ってることだって書いてたな。
尊敬し会えるまでなくても、人間関係、フラットにいきたいね。