時間

全ての人に平等に配分されている時間。しかし時間という感覚を全ての人間に平等に配分されているという考え方は、どことなく教科書的で資本主義的な感じ。魅力はないな。
時間の感じ方も使い方も人により大きく異なる。それが日常にどれほど強く関わり、生き方として繋がっていくか。時間はなにをどのようにどれだけ行うか。時間管理、時間配分といわれるが、何を求めて生き、どこへ向かおうとしているか、見据える視線が定まっていない場合ほど、肌身で感じる時間は長く、振り返るとあっという間に過ぎ去っているように早く思う。
時間は集中力と強く関わっているのだろう。そして時間を管理し、配分しようとするとき、この集中する時間をどこに持っていくかが大事なのだろう。全て、でもいいのだろうが、僕は生活や生き方には緩急のリズムが大事だと思っている。
人生の中でどこで緩急のリズムを作るか、ゆっくり流れるとき、素早く集中して流すとき、それぞれのリズムの楽譜を描くことが、人生のプランニング、将来を見据えた自分の存在を捉える一つの指針のように思う。このリズムのテンポを人生の数十年単位から数年単位、数ヶ月単位、数日単位、数時間単位としてリズムを作っていく。そしてこのリズムを支えるのは、生きる指針、骨子、コンセプトといえる要素だろう。これがしっかりしていないと人生全体に奏でられるリズムのテンポは、その人独自のハーモニーを奏でることができないのだろう。
ただしこの世界は、どのようなハーモニーでも受け入れてくれる。存在そのものがすでに受け入れている証拠だから。問題はそれを自らが許すか否か、それだけだ。