心技体=姿

心技体って何も武道だけの話じゃないだろうと思う。
その道のプロ、達人のような人たちは、仕事と行動、体の使い方、人間性がその人独自の「型」を作り上げていると思う。その「型」をスタイルといってもいいし、「姿」と捉えるのもいい。
僕はどのようなジャンル(もちろん芸術も)であっても、いや極端な話、すべての人たちが仕事や他のカテゴリーに分けられることなく、その生きる姿において、自らを表現をしていると思ってる。(姿勢や身振り、街を歩くうしろ姿、物事の捉え方、話し方、表現方法、目線のあり方、手つき、習慣、嗜好、食べ方、などなど。。)だがその人独自の「型」を持っている、そこに精神と生き方が立っている人、っていうのはすごいことだよね。
心技体。これらに共通することはわずかの期間ではなしえないということ。ローマは1日にして成らずではないが、こと身体に関してはまさしくそう。日々の身体との会話による習慣がなければ変わりようもない。
と思ったのはタバコを久しぶりに吸ってみて、身体があまり嬉しそうじゃないってことに改めて気づいたからだ。久しぶりの感覚を味わっているのは僕の脳(記憶?)、こと肺や気管支、喉、口中はあまりいいもんじゃないよな、って言ってた。後味がどうもよくない。しばらくしてから胸のあたりがやや熱くなってたりする。たんに身体が完治していないから、ではなく、この数週間吸ってなかったうちに身体が新しい習慣を受け入れ、タバコと現状の身体との差異生まれたのだろう、それが少しだけど分かった気がした。
身体は日々作られている。歳をとることは死へ向かっているなんて言わずに、新しい展開へ変化しているに過ぎない。日々作られているのだ。
僕は今年33歳になる。若いとか若くないとかいった他の年齢や人との比較はいらない。ただ僕自身の33でありたい。