ヴァンダナ・シヴァの言葉と絶望への態度
日本アグロエコロジー会議勉強会中にとったメモより書き出しつつ
改めて理解の把握に努めてみたいと思います。
その前にアグロエコロジーについて
簡単な説明をご紹介します。
アグロエコロジー(Agroecology)は世界で現在推進されている工業化された農業に対するオルタナティブと広く認知され始めている農業や社会のあり方であり、それを求める運動であり、科学のことを意味します。
有機農業で追求されている理念と共通するものは多いのですが、アグロエコロジーが扱う範囲は農薬を使わない農法などに留まるものではありません。生態系を守る農業のあり方や社会のあり方を求める科学や運動、実践すべてを含みこむものだといえるでしょう。
イントロダクションでは、環境活動家の辻信一氏より
まず環境活動家・科学者ヴァンダナ・シヴァのドキュメンタリー映画
「ヴァンダナ・シヴァの いのちの種を抱きしめて」の予告篇が紹介されました。
この映画の予告篇には、この会議のシンボルとも言える思考が入っています。
そこから一部を書き出してみます。
なぜ人間のことを考えるだけではいけないのか?
それは人間も生命の織物の一部だからです
生命の織物の一部だから、私たちの健康は織物が健康かどうかにかかっている
自分の健康も幸せもみんな他者に依存している
辻氏はこの現在の世界の状態について大変な危機的状況であり、転換点だと見ています。
本当に皆さんそう思っているのでしょうか、絶望が足りない。
と強く語った言葉が印象的でした。
確かにその通りでしょう。
ですがこうして強く切迫されると、僕のような中途半端な人間はたじろいでしまいます。
なぜならそのような言葉は、行動を相手に強要する言葉になり得るからです。
強要された行為に、力が宿ることはないのではないでしょうか。
といっても、楽しくあることだけを表にしても軽薄的になりがちでしょうし、
「何を絶望とするのか(幸せの定義・条件など)」という捉え方が同じであれば
「楽しくあること」の背後にしっかりそうした危機感・絶望感があることで
活動や認識の中に、より深みが出てくるんだろうと思います。
絶望に背を向けるのでもなく、背負いながらも楽しく生きる。
ちゃんと絶望に値する情報にはアンテナを張りつつ、それに拘泥することなく
今できること、生きることを楽しみたいものです。
画像出典:「ヴァンダナ・シヴァの いのちの種を抱きしめて」の予告篇より