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テクノロジーが進化するのは当たり前?

高解像度の3Dプリンターが開発されたそうです。

ナノレベル(0.1ミクロン)の解像度を誇る3Dプリンターが登場

きっと今後広く実用化されるレベルになるためには

この高解像度への追求は止むことがないでしょうね。

 

3Dプリンターのようなこうした技術というものは、

「数年後にはさらにどんどんと飛躍する」というイメージを

僕はごく自然に持っていましたが、

確かに現代の技術として登場した3Dプリンターは

その時代の恩寵をうけて発展している最中ですが、

「テクノロジー技術は発展する」という根拠を問いただしてみると、

写真ではすでにデジタルプリントが当たり前となった

プリンターの進化を見ても分かるように

「そうしたものは、ただこれまでもそうだった」

という所にすぎませんでした。

 

テクノロジーの発展が進む、ということはどういうことなのでしょうか?

なぜそれが進められるのでしょうか?

進まずにはいられないのでしょうか?

停滞することは許されないのでしょうか?

現在の市場経済システムが、さらなる新技術・新開発を促すがゆえに

技術促進が進むのでしょうか?

 

確かに新しい技術や開発といったものは

現在モノがありふれた暮らしをする僕たちにとって

大きな刺激となり購買意欲を強くそそります。

ですが「新商品をつくらないといけない」という思いだけで

技術が進歩するわけではないでしょうし。

(バリエーションは増えることで多様性は広がりますが)

 

今のような市場優先の消費経済が終わり、

別の経済活動が行われるようになったとしても

このようなテクノロジーの進歩は

その歩幅は影響を受けるでしょうが、

「必要は発明の母」ということわざによらずとも

現状を解決・打開することを目指しているのである限り、

どのような時代になっても技術の進歩という行為自体は

テクノロジーという分野を超えて、

人間の社会活動の一つとして継続される意思ではないでしょうか。

 

・・・と書いていて、なにか違うような気がしました。

それほど甘くはない、といいますか。

 

人間は環境に順応するものなんですよね。

 

発明や開発、技術の進歩というものが人間の社会活動であるとまでは

言えないように思います。

「改善」という言葉が世界で理解されるようになったのが昨今のことのように、

現状を解決・打開することを目指すには、

その動機が必要づけられるだけの思想的土壌が必要なはずです。

とすれば、どのような土壌なのでしょう・・・。

 

 

画像出典:Old World Labs (OWL) http://oldworldlabs.com/product/owl-mc-1