「増子化」から社会と現実を見る目線の違いを思う

「増子化」から社会と現実を見る目線の違いを思う

この前の日曜(10/16)、毎月クラブハウスで開催している、僕たちのルーム「Be as One」では

今月のテーマとして「思い通りにならないことへの耐性」について、みんなで思いや考えをシェアしました。

今月も『「これでいい」と心から思える生き方』第三章「地に足をつけて新生する」から、「思い通りにならないことへの耐性」について考えていきます。 現代の万能感を刺激する風潮や操作主義的な視点、コツコツ目の前のことに取り組めない「永遠の少年」など、本気で取り組めない姿から脱して、思い通りにならないことを見極め、自分のできることをするあり方ついて、認定プロフェッショナルコーチたちと分かち合いませんか?

BE AS ONE: 心理学の実践会
第11回【気づきのわかちあい】「思い通りにならないことへの耐性」をつける生き方とは?

(会話内容はこちらでも聞くことができます)
https://www.clubhouse.com/room/mW607zBy?utm_campaign=tjzaq9kHh-cxJTh2hEbDcg-413501&utm_medium=ch_event

 

このテーマについて考えているときの材料として、

モンスター・ペアレントについて書かれているところから、

ふと、内田樹さんの「消費者」における考え方に気になって、

ブログを調べていたところ、

こちらの記事に出会いました。

増子化対策

2009年と10年以上前の記事ですが、

この記事を読んで、突き当たったのがこちらの内容です。

「外側は中高年だが、頭の中は子供」を今さら「大人」にするにはコストがかかりすぎる。
だから、生物学的な意味での子供を減らすことにして、出生数を抑制したのである。
子供の数が減ったのは、子供の数が増えすぎたからである。
簡単な理路だ。
少子化ではなく、実は今起きているのは「増子化」(@古田隆彦)なのである。
だから、私たちが緊急に立てるべきなのは「増子化」対策である。
どうやって、子供たちを大人にするか。
どうやって集団内部に、それぞれ生態学的地位と社会的行動を異にする多様な種を作り出し、それによって環境負荷を軽減するか。
それが最優先の課題であると私は思う。

http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.html

 

社会の全体像を俯瞰している目線から出てくる言葉としては、

この2022年でもまだ十分通用する観点として、同意できると思います。

社会として自己愛や自己肯定感の低さ、自己受容がテーマになっていることも

こうした流れの中で見えてくるでしょう。

 

だけど僕は、同時にこうも思います。

「子どものような大人」になった責任は、自己責任にだけにはしたくない、と。

そのような表現でくくられて、うまく生きられない思いに悩み続けている方たちはたくさんいて、

その責任を、その人が一人で背負い込んでしまうとしたら、とっても辛くなる、と。

「子どものような大人」を「ちゃんとした大人に」する、という主導的な理解は好きではありません。

社会的なニーズだからカウンセリングをおこなう、ではないんです。

 

僕はセッションを提供させていただいていますが、

そのアプローチとしては

自分が受けたカウンセリングによる恩恵を、

学んだ知識と経験を使って他の方に分け与えていきたい、というものです。

そこには、クライアントの方を「子どものような大人」と見ることもないですし、

だから「ちゃんとした大人にする」なんていう想定もありません。

その人が自ら「自分はこういう人間なんだ、そうなんだ」と

深いところで自分の存在を受け入れて、

進んでいけるようなお手伝いがしたいと思っています。

 

こうした目の前の現実に対応するための視点と

社会全体を俯瞰して見て、把握して人間を見ていく視線は同じものではないから

気をつけたいものですね。

それぞれに役割があるということなんだろうと思います。