「共」の観点から自由貿易論をみる(グローバル定常型社会より)

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credit: Michael Kappel via FindCC

 

昨日より引き続き、「自由貿易論〜新古典派経済学的な理解」に対して

  • コミュニティとの関連をめぐる論点=「共」

からの観点の箇所のメモになります。

自由貿易が、その国における「共同体」あるいは「コミュニティ」の基盤ともいうべきものを侵食していくという点である。しかし考えてみれば、これは何も自由貿易に限られた話ではなく、むしろ「市場経済」一般にあてはまるものであり、つまり「共同体(コミュニティ)vs 市場」の矛盾あるいは対立ということが、国際貿易という場面で現れたものとも言える。(P81〜82)

「国を超えた労働や資本の国際移動が活発になる」ということは、言い換えれば国と国との間の貿易と、ある一国内での地域間経済との違いが実質的になくなっていくということを意味する。そして、考えてみれば自明のことだが、一国の経済において様々な地域格差や、あるいは衰退していく地域が存在するということと、世界の中で様々な格差が存在したり、ある国(ないし地域)の経済が衰退したりするということとは、その構造としては全く同じということになる。(P84)

『グローバル定常型社会』より

つまり自由貿易が世界中に浸透することによって

人々の生活基盤で実感されるレベルのコミュニティ基盤を侵していくことと、

世界全体では国家間の格差が、一つの国の中でも各地域ごとの格差と

どのようなレベルにおいても格差が生じると言えそうです。

 

また、

絶対優位に従って経済が展開する地域経済について、「地域の衰退には問題があるだろうか」という問いを立てた上で次の三つの問題点を指摘する。(P85)

この問いというものを言い換えれば

「衰退する地域があってなんか問題あんの?別の都市に移住して儲けりゃいいじゃん。」

ということですよね。

ですが無神経とも言えるこの問いによって自由貿易が抱える問題点が

「公・共・私」すべてにおいて現れることを示しています。

  1. 地域の伝統を文化の一部として保存することが固有の価値をもつ。(共・コミュニティ)
  2. すべての人々が同じように移動可能ではなく、高学歴者や熟練労働者などが流出することで残された人々がますます貧しくなる。(公平性・分配)
  3. 地域の衰退が他の産業にとってもその地域の魅力が失われ、累積的な衰退プロセスにつながる。(私・市場経済機能の阻害)

 

まぁ考えなくても分かるでしょうが…とも思ってしまいますが、

こうしてちゃんと書くことで把握することは大切なんですね。

 

こうした箇所だけ書き写したものを読むと、自由貿易ってどうしょうもないな、

とか思ってしまいますが、本には当然もっとちゃんと分析されているわけですし、

なによりもそれによる恩恵は、やっぱり今日日僕たちはしっかり受け取っているわけでして。

 

ちょっと全部書くと本を写すことにもなりそうな気がしてきたので、

もう少しポイントを絞りながら続けたいと思います。