「なりたい自分になる」ということについて

「なりたい自分になる」という言葉がありますね。

それは「理想」を未来に掲げ、

「達成へのプロセス」をその未来から現在へとつなげて、

「動機」をエンジンにして稼働させていくようになると思いますが、

僕はこうした考え方には正直うまくついていけません。

 

自分という存在を「未来から落としこんで現在に結ぶ」という

カーナビのような考え方がどうしてもできないのです。

 

なぜなら「なりたい自分」というためには、

まずスタートとしての認識が「未達成の自分」であることになりますので、

そこからでは達成した自分になることはないような気がするのです。

 

なりたい自分という、その「自分」というものが社会的属性として認識されており、

年収とかの数字や地位や所有物の有無など、

外的な条件で把握できるようなものであれば

話は単純なのかもしれませんが、

「自分」というものが当たり前のように主題になったのは

個性の尊重が教育理念に含まれるようになったここ十数年の傾向なのかもしれません。

未来の自分という理想を掲げて、燃料を注ぎ込んで邁進させる構造は、

現代の経済優先の、発展と成長が煽られる構造と同じように感じます。

現在は「未達状態」であり、「到達・完成」の未来のために

現在はそのプロセスとして位置づけられます。いわば道具になります。

 

僕は現在は、「今」であるままでよいと思っています。

道具ような現在ではなく、今のこの瞬間を味わうようでいたいと思います。