#030: 地域社会圏主義、開かれた共用部
『未来の世界を想像するチャンネル』ここ最近、続けている「地域社会圏主義」
という本に、最初のほうに書かれている 10 個ほどのテーマというものの文章があるんですが、
それをひとつひとつちょっとかいつまみながら、
そこからイメージすることを通して、その文章を通して、
僕がイメージしたい 200 年後の未来にこう結びつけて、
どういったその先っていうのがあるのかな、ということを、
思いつくままにしゃべってきました。
今日はその最後のあたりのほうになるかなと思っています。
改めて、「え、地域社会圏主義って何?」っていう方のために、
さらっとこの「地域社会圏主義主義」という本のことを簡単に説明したいと思います。
著者の方は山本理顕さんという建築家の方がされたのと、
あとまあ、それとその研究者のグループみたいな形で書かれていて。
今の現代の住宅モデルというのが、
ひとつの住宅に対してひとつの家族っていうふうな、
その概念が固定化されてしまって、
それが多くの問題を生み出している大きな原因なんじゃないか。
それは建築が何かしらこう、新しいモデルを考え得ることなんじゃないか、
それと全く違う形で、住む人たちがより最適に、最優先された設計という形の建築物、建築空間。
そういったもので新しいアプローチ、モデル、住宅モデルというものができないか、
っていうところで提案されている本です。
9 と 10 のほうを、ちょっとまとめてさらっと言おうかなと思います。
9- 分譲マンションの専有部は全体の75-85% ほどである。専有面積によって価格が決まるから共用部を減らして専有面積をできるだけ大きくとる。「地域社会圏」の専有面積は30-40% 程度である。専有と共用との面積比を変える。そのことで、専有と共有という意識そのものが変わる。
(P008, 「地域社会圏主義」INAX出版)
専有と共有というところを、住む人たちが全く新しいアプローチで関わることによって、
建築の中においてですね、今まで当たり前とされてきた、
ひとつの専有される面積の中で暮らしが成り立つのではなく、
共有というところをもっと大きく広げて、
そこで複数の、一家族ではない複数の人間が暮らして交流する。
そういった大きな建築の中において共有ができる。そういったイメージになるのかなと思います。
10- 「一住宅=一家族」の各住戸は外部に対しては極めて閉鎖的である。「地域社会圏」の住まいは外に向かって開かれた場所が用意されている。(P008, 同書)
この 10 のコンセプトというかテーマの中に書かれているように、
一住宅一家族というのは閉鎖的であるとか。
あと、このところには、地域の周辺環境に閉ざされている、
無関心によって成り立っている、という話であるとか。
あとは、一住宅 =一家族という構図が、
プライバシーとセキュリティを中心原理として供給されているとか、
そういった単位になっている、というところですね。あとは消費単位だと。
なので、そういった既存のモデルにおいては、
外部に対しては閉鎖的であり、プライバシーとセキュリティを中心の原理とされていて、
周辺環境や周辺地域に対しては、無関心によって成り立っている。
で、それが消費単位として社会の経済を回している。
なんかとても窮屈な世界が、それだけでもイメージしますよね。
やっぱり地域社会圏というよりも、
そういったもののモデルの逆方向をイメージされている、というのも書かれています。
で、まあこの 9 と 10 のところのお話をして、
その専有部と共有部。
で、共有部というところが大きく広がってつながっていくと、
外部環境、その住宅環境の建築空間における、その外の広がりというものとも、
広がりが持っていくような感じで。
ここの共有部と外部環境というものの隔たりが、かなり曖昧になって、
なんていうかな、境界がはっきりとしない、あやふやな感じになっていくのが、
とてもいいのかなというふうに思います。
はっきりと「ここからこのエリア」「ここからこっちへ」っていうふうに、
なんか区画整理されているようなイメージじゃなく、
なんか外の空間と中の、こういった住宅とか居住空間の共有部分に入っている、
大きな広場だったり、コミュニティスペースとか、
見本市のような、なんか市がちょっと並ぶようなものがあったり、
あとはカフェとか共有のキッチンスペースがあるような、
そういったところともゆるやかに外にもつながっている。
また、その建築の中においても、ちょっとした起伏。
丘があったり谷があったり、ゆるやかな起伏が中にあったり。
あとは、それぞれ交通が回っていくような、自転車とはまた違うような、
公共のちょっとした乗り物みたいなものが運営されているようなのが、
書かれていたりしますよね。
なので、いかにここでは共有部というものが、
どういうふうになっていくのか、
ポイントなのかなと思ったりします。
共有部っていうのをちょっと考えていく前に、
この「地域社会圏主義」のところでイメージされている住宅の単位っていうのは何か、
っていうのをちょっとおさらいしていくと。
今の現代においては、一住宅=一家族。
ひとつの住宅に標準の家族、家族構成っていうものが前提として成り立っていると。
地域社会圏においては、400 人とか 700 人とかっていう数百人単位。
だいたい 500 人ぐらいの程度っていうのを、ちょっとイメージしながら本のほうでは書かれていたりします。
なので、その数百人をおいて、規模において、そこに住む数百人の人々が、
みんないろんなところにアクセスしながら、
その地域社会圏のひとつの居住空間の中、建築空間の中において、
住む人が幸せに生きて暮らせるような空間である、というふうに目指して書かれている、
というところですね。
言えば、僕がイメージ、いつもこの番組でしている、
200 年後の未来の世界っていうふうに、ポーンと先の未来をイメージしたときに。
今出てきたこの地域社会圏主義で書かれているあり方っていうものと、
どう結びついて、よりどんな部分が発展していくのかなと想像すると。
その共用部分と周辺環境が交わるように、境界がなくなるっていうことは、
僕のイメージなんかでとても綺麗で美しい世界になるような感じがしています。
その周辺環境の、近くの環境。
周辺環境の地形。近くに海がある場所だったり、丘があったり山があったり坂道があったり。
あとはちょっと向こう側に池があるとかね、湖があるとか。
そういった環境の中と、ゆるやかに地続きでつながりながら、
なおかつ、そうやってひとつの、ある程度まとまった居住空間の中で、
その数の人間が家族という単位を超えて、いろんな役割の中で。
そこでも経済圏というか、コミュニケーションや物のやりとり。
そういったものが循環されて行われているようなやり方。
そういったところと、あとはその時代の仕事とか日々の暮らしが、
電車とか車に通勤して外の場所に行かないと何かができない、というようなところではなく。
その場所で成り立っているところの近くで、
そういった環境がセットで作られているようなイメージがあると、
いいなと思ったりします。
例えば、よくこのチャンネルでテーマとして話している、
高層ビルが立ち並ぶ、そういったところにおいて、
自然の力によってゆるやかに解体していく。
それが数年単位ではなくて、100 年というような、ある程度の長いスパンで。
複数の世代が変わりながら、いろいろな環境や地形とともに、
まるで会話しながら、ずっと会話しながらゆっくり風景が変わっていくような形で。
ビルがだんだん低くなっていくような、
そういうふうなあり方というのが僕の中であるんだけど。
そういった仕事を管理をしながら、そこに暮らす人たちというのは、
もしかしたらビルの近くのほうに、下のほうに、
こういうふうな複数の居住空間が組み立てられたような建設物とか、
建築空間みたいなものがあって。
そこでこういうふうなものもあるし、文化も形成されている、
というものも、ちょっとイメージされますよね。
なので、僕がこの 200 年後の未来の世界をイメージしたいな、
というところのひとつのきっかけになった本のひとつなんだけど、
この地域社会圏主義というのは、それだけ自分の中で、
「こういう未来はいいな」というか、「美しいな」というふうに考える、
興味を惹かれたきっかけになった、というところもあるので
専有部のあり方のいろんなルールとか決めごと、というよりも、
そこを超えての、共有部分。
人がいろんな関わりの中で、みんなで使って、
みんなでやりとりしていくような暮らしが成り立つようなところ。
さらにそれが外の世界ともゆるやかにつながっていく。
はっきりとした区切りや敷居がない。
そういったあり方というのと、親和性が高いのかな、
というふうな感じもしました。