開放定常系としての人間

「グローバル定常型社会」では開放定常系という言葉を用いて

「意識という開放定常系=コミュニティという開放定常系」

という観点から人間という存在を捉える試みがなされています。

定常的な社会というものが、僕たちにとってある種必然と言えるには

どのような形で世界や人間を捉えるのか、

とても興味深いです。

 

「開放定常系」という言葉を「外部環境との間で物質・エネルギー・情報等をやりとりしながら一定の秩序を維持しているシステム」という具合に一般的に理解するならば、宇宙全体の大きな流れの中で、結局のところ私たちは、

(a)「地球」という開放定常系
(b)「生命」という開放定常系
(c)「人間」という開放定常系

といういわば三重の定常系システムの中を生きていることになるだろう。(P139)

 

それぞれをまとめると以下のようになります。

 

(a)「地球」・・・物質/エネルギー(に関する開放定常系)
太陽エネルギーと大気・水の循環が中心的な役割を担う。

 

(b)「生命」・・・物質/エネルギー/情報(に関する開放定常系)
生命とは、外部環境との間で「物質・エネルギー」をやりとしつつ自己増殖を図るシステム
また情報とは「遺伝子情報」と「脳情報」
※生命や書記官の生成・発現をつかさどると同時に、親から子へと遺伝子を通じてバトンタッチされるものである。しかし哺乳類を含む生物の場合、蓄積し伝達する情報や行動が膨大かつ複雑であるため、「脳」という器官を発達させそれに情報を蓄積しつつ、個体同士がコミュニケーションをとることで情報=知識・経験を伝達する。

 

(c)「人間」・・・物質/エネルギー/情報 プラスα(に関する開放定常系)
「生命」の内容に加えられる「プラスα」とは自己意識とコミュニティ

この自己意識とコミュニティについて

以下、その内容を示す箇所を引用します。

河合(河合隼雄)はまず一方で、①「家族という社会的単位の創出」こそが、サルからヒトへの進化の決定的な要素であるという・・・。(P148)

すなわち、母親が子どもの世話をする、という関係は既に哺乳類一般において成立しているが、それにとどまらず、父親(ないしオス)が子育てに関わるという点、ないしその意味での「家族」という単位の成立が、人間という存在の成立にとって本質的であったという議論である。

他方で河合は、②人間という生き物の特徴は「重層社会」をつくることにある、という議論を行っている。ここで「重層社会」とは、人が家族組織の上に村を作るように、重層の構造をもった社会をいう。うまり、個人ないし個人がダイレクトに集団全体(あるいは社会)につながるのではなく、その間にもう一つ中間的な集団が存在するという構造は、ヒトにおいて初めて成立する、という興味深い事実である。(P149)

「重層社会における中間的な集団」こそがすなわち「コミュニティ」というものの本質的な意味になるのではないだろうか。したがって、コミュニティはその原初から、その「内部」的な関係性と、「外部」との関係の両者をもっていることになる。このいわば“関係の二重性”にこそコミュニティの本質があるといえるだろう。

そして、こうした関係の二重性、特に「外部」との関係性の存在ということが、独立した単位としての「個人」ということと重なり、かつまた「自己意識」の成立ということとパラレルなのではないだろうか。

言い換えれば、ここでいう(重層社会としての)コミュニティとは本来的に外部に開かれたものであり、しかもそうした構造の生成が人間の「自己意識」の生成と並行的に進むことになる。以上のような意味において、「意識という開放定常系=コミュニティという開放定常系」という観点から人間という存在を捉えることが可能ではないだろうか。(P150)

 

人は個体が直接的に社会へ接続するのではなく、

コミュニティという中間的な集団を通じてつながる、ということを考えると、

昭和までの時代ですとそのコミュニティには家族・親族という

血縁関係や地縁がそうした要素として存在していたと言えると思います。

(八〇年代までは会社がそれにとって変わったかもしれない)

 

現代では「家族」もさらに小さくなってその力を失いつつある半面、

ネットを通じた「好き」や「興味」でつながるコミュニティが

分散的に起こっているように見えます。

しかもそれが、一人あたり複数のコミュニティに所属したりという

分人的なあり方になっているところが、

これまでの一個人=一集団という構図では捉えられない状況だと思えます。

 

「分人」とは、一個人を分割できるものとして扱うこと、と言えるでしょうか。

なめらかな社会とその敵』では、

分人=dividualという概念は、ジル・ドゥルーズが使ったものとして紹介しています。

同書では、近代民主主義が前提としている個人から、

分割可能な人間の矛盾を許容する分人

によって構成する民主主義(を実現するネットワーク型投票システム)を提唱してて、

大変面白いのですが、数式とか出てくるので、非常に解読が困難で・・・。

 

また平野啓一郎氏の『私とは何か――「個人」から「分人」へ』

という本でも分人という概念を取り扱っているようです。

まだ読んでないですが、気になりますね。