未来の音楽が自然の音であるならば
未来の音楽をイメージするという企画を紹介する記事の中にあった、
隈研吾さんのアイデアがずば抜けて面白かったです。
「いつの日か、私たちはすべての音が私たちの周囲に存在すること、そして私たちが生み出した音ではなく、そこから見つけ出した音こそが一番重要なのだということを理解するでしょう。・・・音楽はいつでもどこでも生まれるようになり、ミュージシャンという言葉は、物体を使用して音を生み出す技術を持っている人という意味ではなくなります。ミュージシャンという言葉は、生まれてくる自然音を感じ取り、そこへ静かに耳を傾けようと教えてくれる、素晴らしい感性を持った人を指すようになるでしょう」
これは音楽という認識そのものが変わるということですね。
奏でられる音を構成し、組み立てるのではなく、
自然にある音ひとつひとつに耳をすまし、価値を見出すのです。
いつの日か、私たちはすべての音が私たちの周囲に存在すること、そして私たちが生み出した音ではなく、そこから見つけ出した音こそが一番重要なのだということを理解するでしょう。
THE LISTENERS
ここにもし多少の構成が入るのであれば、
自然界の要素を予測し、構成して
その日その時その場所でしか味わえない自然音を見つけ生み出す音楽家。
その人たちは自然の音に敏感であるだけでなく、
風や季節や天候への予測能力、
特定の場所にある音響や草木の種類による音の変化、
季節や土地ごとに生息する虫たちの生態などに精通しており、
会場となる場所を最大限に活かしつつ、
わずかに植物や虫達を配置したて全体を構成するのです。
時間や気候、風など様々な自然環境の変化によって、
その土地のその日でしか味わえない音色に耳を傾ける音楽会・・・。
さながらジョン・ケージの「4分33秒」が当たり前となった世界のよう。
これが音楽として認識できるような観客たちのいる未来であるならば、
人間の中にある自然や価値観も大きく変わっているでしょう。
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