未来における人間の役割の方向性について

書籍「グローバル定常型社会」より

労働における“環境効率性”という言葉がでてきます。

以前は“人手不足・資源余り”という状況だったので「労働生産性」(少ない労働で多くの生産)がもっとも重要だったが、時代は変わり現在は“人出余り・資源不足”という状況となっている。そこでは「環境効率性」ないし「資源生産性」(少ない資源消費で多くの生産)ということこそが重要となり、むしろ「人」を積極的に使い重点投資するような対応が求められる(資源集約型経済構造から労働集約型構造へ)

『グローバル定常型社会』P39 著:広井良典

そこで“私利の追求”の体系の反転、

また公・共・私がクロスしたビジョンという方向性が生まれます。

“私利の追求”の体系としての市場経済システムが全面的に展開してきたその極限において「反転」するようなシステムということであり(略)、それは既に従来の資本主義・社会主義という概念をはみ出るものである。ポスト産業化社会としての「定常型社会」においける、資本主義と社会主義といった二分法を超えた社会像、言い換えれば、“資本主義と社会主義とエコロジーが融合する社会像”としての、あるいは「公」と「共」と「私」が新たにクロス・オーバーしていく社会のありようとしての「持続可能な福祉社会」を、私たちは構想していくべき時期に今きている。

同書 P68

 

こうした言葉を読みながら、

ふと、以前読んだ木内鶴彦氏の本に書かれている

人間の使命についての文章を思い出しました。

人間は生き物の中で一番最後に生まれたキャラクターです。つまり一番新参者です。なぜ一番最後に生まれてきたのかというと、全体のバランスを整えるためです。(P136)

最初は単細胞の藻から、細胞同士が集まって多細胞の生き物になり、細胞がどんどん集まって、その集大成として生まれたのが人間です。生態系の一番最後に生まれた人間が、一番の新参者、下っぱですから、私たちは、いま一度自分たちの役割を思い出し、「地球環境を生き物が住みやすい場所に整える」という使命のために、日夜努力し続けなければいけないのです。(P137)

『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』著:木内鶴彦

 

“私利の追求”の体系は有限な地球資源を利用しつつ、

さらに他の生物の性質までも利用してエネルギーや資源を消費しています。

となると未来は、人間だけの未来を考えることではないでしょう。

 

「地球環境を生き物が住みやすい場所に整える」

という木内氏の言葉には、

未来の人々の仕事を考える上での大きなヒントを示していると思えます。

 

環境や動植物たちとの共存を考慮したような社会というのは、

自然の生態系を尊重し、

それぞれの動植物たちの個性や性質を知り、

尊重することから始まるといえるでしょう。