矢部宏治・孫崎享 対談の記事より
Pocketというサービスをよく使っているのですが、そこでストックしていた記事の中に、
「日本は戦後処理がまだきちんと終わっていない」10/08 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治・孫崎享対談(文字起こし)
という記事があり、先日何気なく読んでみました。
ここでは、「普天間基地から飛び立った飛行機は米軍の住宅の上は飛ばない」とか「首都圏の上空を米軍が支配して」とか知らないことが色々とあったのですが、そのうち衝撃的なのは、
要するに、首相よりも従わなければいけないものがあるということ
日本国憲法の法体系よりも安保法体系の方が上で、
日米合同委員会で決めたことは日本の法的なシステムよりも上位である。
ということです。
こうした体制を米軍と官僚たちが作っていると。(なんとなく、やっぱりなー的な感じでしょうか。つまり僕たちの国は独立した国ではないということですよね)
最近選挙とかニュースがありますが、どのような政党が第一党になろうと、だれが首相になろうと、ここの範疇から出ることは出来ない、という構造がこの国にはあるということのようです。
ちょっとかなりげんなりしますが、「戦後処理」というものについて、僕自身もいまいちピンとくるものがなく、「もうすぎたことでしょ」と思っていたり、無関心だったようにも思います。戦前の日本という国と、戦後の日本という国はあまりにも違っているというか、別の国のように感じてはいましたが。(もちろん伝統や文化は継承されているものもありますが)
こういう構造を知ると選挙などますます興味がなくなるばかりな気もしますが、それでも意思表示出来るときにはするようにしたいと、選挙には行こうと思います。
それにこういう構造があることによって、様々な情勢の背景を推察することができますし、問題点もだんだん明確になってくるようにも思います。またこうした歴史的な構造を抱える問題を、早急に解決しようとか変えようとか、即効性をいたずらに求めることは(げんなりするのは、即効性を求めているからでもある)危険な気もします。