現代日本の構造変遷についての本を読んで驚いたこと

最近、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(著:矢部宏治)』

を読んでました。

この本、なかなか普通に知ることのないような、

驚くことがいくつか書いてあります。

例えば、

  • アメリカとの条約・密約が日本国憲法より上位に位置しているその背景には、戦後の武装解除などの処理を収め、戦後日本のあり方を国内に示す必要性などによって天皇の戦争責任を不問にした、当時の情勢からから繋がっている深い構造であること。
  • 昭和天皇が1946年出した最初の人間宣言は英文だったこと。
  • 戦後直後の情勢下において作成された日本国憲法は、GHQによって草案書かれ、全体をコントロールしていたと言えること。
  • 日本は現時点でも国連憲章の「敵国条項」の敵国に該当し、それはドイツのように完全に無効化されていないこと。
  • 憲法第九条二項は、憲法が書かれた当時に想定されていた、世界政府として機能する国連の理念を前提にして書かれた内容であること。

などなど。

 

 

アメリカの条約のほうが日本国憲法より上位になっているその背景の説明は、

昨年に読んだ「街場の戦争論(著:内田樹)」の中に書かれていた、

「主権のない国家が主権国家であるようにふるまっている事態」

の理由に対する回答のように感じました。(参考の投稿

 

日本の国家権力の変遷が分かりやすくまとめてありましたので

こちらで引用メモしておきます。

戦前(昭和前期)  [ 天皇 ]+日本軍+内務官僚

戦後①(昭和後期) [ 天皇+米軍 ] +財務・経済・外務・法務官僚+自民党

戦後②(平成期)  [ 米軍 ] +外務・法務官僚 (あとがき より)

同じあとがきには、現状を『「天皇なき天皇制」が完成してしまった』とあります。

その現状、なんかとても気分が悪くなりますよね…。

 

 

憲法が日本国内で重要視されない状況を

沖縄基地問題や福島原発事故を例にしたあと、

それは憲法がそもそも日本の国民のものとなっていないことだと言います。

「自分で憲法を書いていないから、だれも憲法判断ができない」

「憲法を書いた社会勢力[=当初の制定勢力]が存在しないから、政府が憲法違反しても、だれもそれに抵抗することができない」(P163)

草案はGHQがやったとしても、その後の文章は日本人の手で作られた、

というような話を以前テレビかどこかで聞きかじったことがありましたが、

(本には、そうした主張の根拠としてよく知られる日本憲法研究会とその中心となった鈴木安蔵について、憲法研究会の活動を開始する前に、すでにGHQ側の憲法に対する考え方を把握してたと説明があります)

しかし、そもそも

「骨幹となる憲法の成立の過程が議論の対象になっていること」それ自体が、

憲法が憲法としての信頼性が成り立っていないという指摘は納得です。

 

 

国連の「敵国条項」が残ったままの戦後の日本のあり方について、

著者は以下のように指摘します。

ドイツのように周辺諸国に真摯に謝罪し、「過去の克服」をおこなうのではなく、戦後まもなく成立した冷戦構造のなか、米軍基地の提供とひきかえに、外交と安全保障をすべてアメリカに任せっきりにして、国際社会への復帰をはたしました。講和条約に通常書かれるはずの敗戦国としての戦争責任も明記されず、賠償金の支払いも基本的に免除されました。そして過去に侵略を行った韓国や中国などの周辺諸国に対しては、贖罪意識よりも、経済先進国としての優越感を前面に押し出すようになり、戦後七〇年のあいだ、本当の意味での信頼関係を築くことが、ついにできませんでした。
その結果、日本は世界でただ一国だけ、国連における「敵国」という国際法上最下層の地位にとどまっているのです。(P241-242)

これは死文化したも同然だ、という国内の学者の話も書かれていましたが、

実際にそう明記されて無効化されない以上、

やはり問題は残っていると考えるのが普通の感覚ですよね。

 

憲法第九条二項の内容が意味を持つための背景についてはこちら。

事実、九条二項には大きな問題がある。なぜなら、この条文に書かれた「陸海空軍その他の戦力の放棄と、交戦権の放棄」は、たしかに大西洋憲章やダンバートン・オークス提案(国連憲章の原案)の段階まではその理念として存在していたけれども、残念ながら国連憲章そのものの理念には、ついになりえなかったという歴史的事実があるからです。
…九条二項の「戦力と交戦権の放棄」は、あくまで「国連が世界政府として機能すること」、つまり「正規の国連軍が編成され、戦争する権利を独占すること」を前提として書かれているのです。(P269-270)

この前提は結局果たせなかったために、

憲法九条二項は、問題をはらんだまま残ってしまったということです。

 

 

このような現実の認識を通じたうえでの解決方法として、著者は

フィリピンやイタリアにならい、憲法に「最低限の防衛力をもつこと」

そして「今後国内に外国軍基地を置かないこと」を明記する必要があるとしています。

 

 

そういえば憲法を新しく考えるということで、

日本2.0 思想地図β vol.3、にあるという「憲法2.0」というものを思い出しました。

 

BLOGOS × ゲンロン presents 憲法2.0 wiki
日本再生に向けた提言/実践集『日本2.0 – 思想地図β vol.3』収録の『新日本国憲法ゲンロン草案』を元に、これからの憲法、”憲法2.0″を模索します。

 

この機会に憲法に関心を持ち続けることの大切さを考え直したいと思います。