3.11映画祭が始まりまして
一昨日、秋葉原の方にある3331へ行ってきました。
以前からアートスペースとして有名なこちらでは、今アートフェアもやっていますが、そちらではなく、3.11映画祭のレセプションへ参加してきました。
この映画祭は、3.11に関連した映画ー計32作品を一堂に集めて行われる映画祭でありまして、その趣旨からドキュメンタリーが主になっています。映画ラインナップ
早いもので、3.11からちょうど3年という歳月がすぎました。
原発関連の記事を目にすることはすでに少なく、まるでもう終わったことのように、何事もなくいつもの日常に戻ったかのような錯覚を抱くこの頃ですが、いえいえ、とんでもありません。残念ながら未だ東京に暮らしている以上、僕は、自分が被爆者であるという自覚を、常に心のどこか片隅で思って暮らしています。
3.11に関する話でも、特に原発に関する話題の「先の見えない、どうしようもなさ」というのは難しいものですが、それというのも、原発事故の影響というものは、今現在生きている人たちほとんどがいなくなってしまった未来でなければ、この影響がどういうものなのか分かりようがない、ということが言えると思います。
もちろんチェルノブイリの事故がいくらか大切な参考情報になるでしょう。とはいえ、今もまだ高い線量の中で暮らす人々や、終わりの見えない事故処理、漏れ続ける汚染水など、この福島の事故独自の状況も多々あります。それが未来の世代にどう影響をあたえるのか、起こってみるまでは分からないという不安が消えないことが、3.11の原発にまつわる話題が今ひとつすっきりしないもどかしさを生み出し続けています。
おそらく、今もまだ東北や関東に暮らす方々は、原発の危険性はどこかで分かっているけれど、「本当にどうなのか確定しようがない」という状況に倦み疲れ、そこに焦点をあてて気分を下げて暮らすよりも、気にしすぎることなく、肩の力を抜いて、楽しく暮らすことを優先した生き方を選んでいるのではないでしょうか。
僕も今はそのように考えて暮らしています。
3.11映画祭は、多くの人たちにとって、私たちの生きるこの現代の土台となり、未来への思いを作り出すことの肥やしとなる、現実という足場を思い起こさせてくれるきっかけとなってくれればと願っています。
ちなみに事務の手伝いをしているオフィスフォーの配給作品、映画「わすれない ふくしま」も上映します。