映画『屋根の上に吹く風は』を観て

映画『屋根の上に吹く風は』を観て

久しぶりに観た映画のことを書いてみたいと思います。

正直どのように何を書けばいいのか分からない状況からスタートしていますが、

そうした結論をとりあえず度外視して書いてみる、

まるで頭の中にある思いや言葉を躊躇しないままどこまでも手を動かして書く、

ジャーナリングのような向き合い方の文章で進めてみます。

ドキュメンタリー映画『屋根の上に吹く風は』

東中野のポレポレで観てきました。

ポレポレは本当に久しく行っていない、

良質なドキュメンタリーを中心に上映している、大変貴重な映画館。

過去にも何度か「これ観たいなー」と思っていた映画を上映していたりしたのですが、

なかなか足が運ばない、ってことはありますよね。

そうしてずいぶんと遠ざかっていたのでした。

ポレポレの話はいい。映画の話ですね。

映画『屋根の上に吹く風は』

この映画は島根県にあるサドベリースクールの日常を撮った作品です。

子どもたちは、「当たり前」と思われている学校、

つまりカリキュラムがあり、教師がいて学年が別れててクラス分けされてて…

などといった環境とは全く違う場であるこのスクールで、

そこに一緒に過ごす大人(スタッフ)たちと

日々思い思いに生きている姿がとても印象的です。

全く違う場、とはどういうことか?

そこはこのスクールのホームページから文章をとってきてみましょう。

先生・カリキュラム・テスト・評価がなく、子ども達の好奇心に沿った遊びや体験から学んでいくスクールです。

何をして遊ぶか、何を学ぶか、全て自分で決める自由があり、自分のペースで学んでいくことができます。子どもも大人も、年齢に関係なく対等に話し合い、教えあう関係を大切にしています。異年齢ミックスのコミュニティーの中で、できる者から学んだり、話し合ったりして、自分で考え、判断し、解決する力を身につけていきます。別名デモクラティックスクールと言われるように、話し合いの場を大切にします。スクールのルール作りから運営・予算・スタッフの雇用等も全てみんなの合意のもとで決めていきます。

新田サドベリースクールとは http://shindensudbury.org/about

映画を観て本当に思いましたが、

子どもたち一人ひとりが、自分が何をしたいのか

それを決めて思い思いに過ごしています。

そこを徹底しているところがほんとうに素晴らしい。

ゲームにひたすら興じている子もいれば、

勉強がしたいと思って、スタッフに教えてほしいと教わる子もいるし、

勉強をしないままずっと過ごしてきて

年齢よりは下の漢字を習おうとし始める子もいる。

自分たちでやりたいと思って企画したことも

行き詰まったりすれば、庭にあるハンモックで遊んだりしている。

子どもたちが自由でいる姿や、そこから責任を自覚しだす姿も大変魅力でしたが、

僕は、子どもたちのそんな姿を見守ろうとし続ける

スタッフの大人たちの姿にとっても惹かれました。

子どもたちだけで色んなことを決めようとするから、

どうしても話がうまく進まなかったり、

堂々巡りになったりします。

でもそこでスタッフである大人たちは、そんな場面にイライラしないで

子どもたち一人ひとりの気持ちにしっかりとフォーカスして

子どもたちともとっても親しい距離をもって

まるで子どもたちのグループの一人のように

一緒に考えようとします。

そして子どもたち自身からの声がでてくるのを待ちます。

もちろん話が進まないような時には、

話の方向を提案したり、

これまでの話の確認を行ったりしますが、

決して、大人であるスタッフが主導で、子どもたちを導こうとはしないのです。

それは大人自身に「子供を導くことが可能なのか?」

ということを問うているようにも思えます。

この、どこまでも子どもたちの自主性、

自分たちでやりたいことを自分で探す、自分で引き受ける

その力があることをひたすら信じ続けて接しているんです。

(ああ、なんて難しいこと!!)

大人の側に、子どもたちの戸惑いやイライラといった感情を

一緒になって受け止めてあげられる度量が

日々、瞬間、いつも求められていんじゃないかな、と思えます。

でもそれだけではなくて、

そうした自主性に基づいて

子どもたちが自分で何かを判断し、

行動に移していく姿を間近で見続けていることで

一緒に過ごしている大人のスタッフたちもまた

成長していることをみんなご自身で感じ取っていました。

こうした環境は、子どもたちにとって、

自分自身をありのままで受け入れてくれる場として機能しているのでしょう。

映画の初めの方に体験入学から入校してきた少年が、

このサドベリースクールで過ごしているうちにだんだんと表情が変わってきて、

映画の最後の方には母親からのコメントとして

「自己肯定感が上がった」「やさしくなった」という言葉が出てくるようになるまでに

目に見える変化を見れたことが印象的でした。

ちなみに自分には特に子どもがいるわけでもないのですが、

なぜこの映画に興味を惹かれたのか、というところについて少し書いておきます。

僕は昔から、未来を想像することがとても好きです。

このブログでも「future world imagination」というカテゴリーでいくつか投稿しているのですが、

未来を想像する時に欠かせないのが子どもたちの姿だと思っています。

その未来の子どもたちが、社会とどのような関わりで教育を受け、

大人たちとつながり、生きる力を身につけようとするか。

そうしたイメージを思い描く時、

この映画で描かれている世界がとても親近感を持って感じられました。

遊ぶように過ごして生きながら、

その中で自分たちで学ぶことを選び、学ぶことによって世界の広さを自分で感じ取ること。

子どもたちが表現するその力は、

現代を生きる大人にとっても息づいている力、再発見できる力だと思ったりしています。

これはサドベリースクールという場で過ごす子どもたちの姿を映している映画ですが、

現代を生きる大人たち、未来を担う子どもをサポートする側の大人たちへの

多くのメッセージが含まれている映画なんじゃないかなと思います。