文明の設計図の中身

僕たちの暮らしの一挙手一投足どれもが、

現代生活の中で完結している場合において、

どれだけの人たちの仕事の成果や歴史やつながりに恩恵を受けているか

意識しないと分からないものばかりです。

 

例えば住んでいる家においても

食事一つにしても

衣服一枚においても

机やペン、花瓶ひとつにおいても、

窓辺から見える街の風景ひとつ、道路一本においても、

すべて人びとの仕事の成果であり、それは文明です。

 

それは「国破れて山河あり」という言葉の

「山河」を示すものでもあるのではないでしょうか。

 

以前この言葉の内容について

内田樹さんが示されているものを書きましたが、(ナポリそのものとして

ただ自然だけが残っていても、

その自然から人間がどのように糧を得て生活をしていたのか

ということを何も知らないままであれば

ただ自然の前に立ち尽くしてしまうばかりでしょうし。

(僕も自然の中に放り出されたら間違いなく何も出来ません・・・)

 

文明の設計図には、知の遺産と継承が欠かせないということになります。

設計図だけが残っていても

それを読み解く知識と技術的背景がなければ

記号の羅列にしかすぎず、組み立ても運用も修理もできません。

 

「知を継承する」ということを

どの民族よりも熱心に行っているのがユダヤ民族らしいですね。

長い時代自分たちの国を持たずに各地を放浪してきた民族が生き残るために

自分たちの原点である知識を

子供の頃から熱心に丸暗記するぐらい徹底的に覚えるそうです。

 

未来において何よりも大切にされているのは、

人類の知の遺産と継承のための学習なのかもしれません。